共感を求めすぎてはいけない

メンタル

共感の持つ力

人は共感できると安心し、強いつながりを感じます。

  • 新しく出来たお店の定食が美味しかった。
  • 話題作の映画が面白かった。
  • この芸能人が好き。
  • 人を騙して金儲けする奴は許せない。
  • 不倫をする男はサイテーだ。

例えばこんな、よくありふれた話題で人と人は繋がるし、繋がりたいと思います。しかしこれを相手に求めすぎるのはちょっと危険だ、というお話です。

相手に共感を求めるのは、同じ価値観に当てはめようとすること

たけし君は、「マクドナルドのハンバーガーが世界一美味しい!」と思っていたとします。

でも、みちこさんは「自由が丘で私がランチしてる、お洒落な個人営業のとこの方が美味しいわ」と言ったとします。

たけし君は、みちこさんの考えをどう捉えるでしょうか?

「あ〜、みちこちゃんはそうかもしれないね!でも僕にとっては世界中どこでも安定したクオリティで安価に食べられるあの味が世界一なんだ!」

で済ますのか。

それとも、

「え、じゃぁ何、僕の考えは間違ってるってこと!?世界一はマックじゃないって言ってるの!?僕が間違ってるの!?ひどい!ねぇ、みんなはどう思う?マックだよね!?マックが世界一だよね!?!?」

と言う反応をとるか。

みちこさんの意見を、「自分の意見の否定」と捉えてしまうと、それを拒んで他の人に自分の意見への同意を求めます。自分と同じ価値観に、人があっていないと困るし、不安だし、嫌なんです。

これが共感を相手に求めることの例です。

共感を求める>同調圧力となって、人を排斥することに繋がる

相手に共感を求める行為が行きすぎると、同調圧力となってしまいます。

共感できない人=異質な人となって、受け入れられなくなります。

学校の30人のクラスの中で、28人がマクドナルド神格化派だったとして、残りの二人がモスバーガー派と自由が丘の個人店舗派だった場合、その二人は仲間外れにされてしまうかもしれません。

これは極端な例ですが、人の好みは基本的にはそれぞれ違うという前提のもと、数の暴力にならないよう、共感を求めるときは十分に注意する必要があります。

体験談:バンプオブチキンは好きか嫌いか?

私が中学生の頃、BUMP OF CHICKENというバンドのJupiterというアルバムがバカみたいにヒットを飛ばし、多くのキッズたちが聞いて、カラオケで歌って、バンドでコピーしてました。

BUMP OF CHICKEN『天体観測』

今でもよく覚えてます。

友達「バンプサイコーだよね!」

わーさー「いや、そんなに・・・。おれANIMETALの方が好きかな・・・。」

友達「え、バンプだめなの?マジ?嘘でしょ?みんな好きなのに?」

わーさー「・・・。(うるせーーーー!俺のヒーローは藤原基央じゃなくて坂本英三なんだコラーー!何を聴こうが人の自由じゃねーかーーー!)」

こんなやりとりがあったような、なかったような。

でも実際、バンプそんな聴かない派がウルトラマイノリティだった当時、私が肩身の狭い思いをしたのは事実です。

まとめ:共感を求める=押し付けになる

自分の共感の範囲だけで物事を考えると、自分の領域を狭めてしまうだけでなく、自分の価値観を押し付け、他人に同調圧力を生んでしまうことに気をつけなければいけません。

今はSNSで、人々の共感が驚くほど早く繋がるようになりました。

でもそこには、違った価値観を持った人が必ずいる、という前提を忘れないようにしたいですね。

我々の未熟な心にとって、SNSというツールはちょっと進歩しすぎているのかもしれません。でも、便利なものを使っていくのが人の性なので、私たちが少しずつ、テクノロジーとの上手い付き合い方を見つけていくのが良いかな、と思っています。

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