雇用形態は形骸化する
日本でどこかに勤めて働くとき、企業は雇用形態を決めてその人を雇います。
アルバイト(パート)、契約(派遣)社員、正社員の、大まかにはこれくらいでしょうか。
一般的には、アルバイトが一番簡単で責任の少ない仕事をやり、契約社員、正社員となるに従って責任も増え、複雑な業務を行う代わりに、報酬も高くなる、と見做されます。
結論として、今後このような線引きは形だけにすぎず、実際の意味を失っていきます。
その理由と、私たちが今後何を目指しどう動くべきかを説明します。
肩書きではなく成果主義で人を評価しないとムダが多い
一般的に、正社員は福利厚生が充実し、雇用が守られ、労働者にとって優位な立場だとされています。
それは、雇用する費用にとっては、その分その労働者にかけるコストが高くなることを意味します。
コストをかける分だけ、良い働きをして会社にメリットを残さなければならないはずですが、現実は必ずしもそうはなっていません。
正社員という立場で今後を約束された人間は、そこでぬくぬくと安心し、仕事の成果を向上させようという意欲が湧きません。
当たり前の話ですが、危機意識がなければ、会社で決められた時間に決められたことをやって、あとの余暇はどう楽しむか、これしか考えなくなります。
そういう人材が数十年かけて会社に溜まっていると、企業としては生産性の低い人間を高いコストをかけて雇用していかなければならない、という状況になります。
はっきり言ってこれはムダです。
同じコストをかけるなら、例え学生のアルバイトでも、会社にとって良い成果を残す優秀な人材を雇った方が明らかに費用対効果が高くなります。
私の体験談:アルバイト時代と正社員時代
私は学生の頃と、大学院を中退したあとフリーターとしてアルバイトをしていました。
音楽の活動のためにやっていたアルバイトですから、適当に手を抜いて時給分の働きをすればよかったものの、不器用な私は「アルバイトでも全力投球」で頑張ってました。この記事にも書いた通り、厨房担当の完璧主義で鬼の副店長だった私は後輩を育てられず、苦い経験をしました。そんなことなんかを、どっかの会社で正社員として働いてる学生時代の仲間に話しても、
「まぁでもお前アルバイトだからな!」
って言われてました。確かに立場はアルバイト。時給は1,000円にも満たない立場でした。それでも副店長として店のことを細かく管理し、業務がうまく回るように、売り上げが上がるように自分の頭で思考して業務を行っていました。私からすれば割りに合わない仕事だったかもしれません。でも経営者(お店)としては、アルバイトという立場で他の人と足並みを揃えさせるのではなく、もっと良い待遇にしておくべきだったのではないでしょうか。
正社員として働いていた頃は、それでも音楽活動を最優先と捉えていたため、「アルバイト感覚」で業務を行っていました。
有給休暇を抜いた実働労働日数と時間をカウントし、月給から時給換算してどれくらい効率よく稼げるかを考えました。みなし残業(残業代が出ない)だったので当然残業はしません。それでも私より経験の長い社員より遥かに効率よく業務を行っていましたが、悲しいかな賃金体系は年功序列。私より生産性の低い人間に多くの賃金を払わなければいけない会社は、とても気の毒だったと思います。
まとめ:時代は変わり、本当の実力主義が始まる
ある意味、フェアな時代がやってくると思っています。
学校を卒業し、就職活動の成否によってその後一生分の将来が粗方決まってしまうようなシステムが崩壊しつつあります。就職活動でその後一生分のその人の働きが見えるのでしょうか?また、企業の求人は時期によってバラツキがあるので、売り手市場で得をする世代もいれば、氷河期で涙を飲む世代もいます(私がまさにそれです)。
こんなアンフェアで歪なシステムが意味をなくし、それにすがる企業、組織は淘汰されていくでしょう。
実力主義の世界で何かを望むなら、実力を付けなければいけません。
厳しいけれど、チャンスがより平等にある世界で、どんな実力つけて何をすべきか。
それを必死に考えて行動し続ける人にとっては、優しい世界となるはずです。
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