日本の学校教育には問題がある
私は日本人として日本で生まれ、小中を義務教育として公立の学校で6年+3年の合計9年過ごしました。みなさん成人の多くがこの義務教育課程を経ていると思います。こうした制度が確立したのは近代になってからであり、尚且つ世界ではまだまだ公教育の行き届いていない国があることを踏まえると、幸せな時代に生きていると言えるでしょう。
しかし今の学校教育はモデルが古すぎます。もしくは、時代の進歩が早すぎるのかもしれません。どちらにせよ、前時代的な学校教育のシステムには様々な問題があり、これからの時代を生きる子供のためには不足しているものがあると考えます。
学校教育で不足しているもの
結論としては、
- マネーリテラシー(お金の知識)
- 人間関係
- 子供に安全な間違いをさせる
特にこの3つが重要で、かつ不足している教育だと考えます。それを、昔と今の状況を比較しながら、社会の状況の変化を根拠に解説します。
1.マネーリテラシー
昔:学校教育の延長に、企業への就職か公務員と言う勤め人の道があり、そこに入れば定年までの安定した仕事と給与、そして老後の年金が約束される。
今:企業や公務員に勤めても安定した給与は保証されず、雇用は流動的となっているので就職してもその後のキャリアは保証されず、年金制度は破綻しているので定年後はそれだけで生きてくことは困難。
※つまり、現代ではお金を管理して自分と家族の生活を保つことが自己責任となっています。一人一人が資本主義経済のルールを知っていかなければならなくなりました。多くのサラリーマンが、「給料入った。額面と手取りって結構違うよね〜、なんでか知らんけど!」ではマズイ、ということです。
2.人間関係
昔:高度成長の時代は、人手を駆使して経済を成長させていました。ただ頑張ればよかったのです。そしてそこは労働集約型で、多くの人が同じようなことに取り組み、足並みを揃える必要がありました。なので集団から外れることは大きなリスクでした。
今:コンピューターをはじめテクノロジーが進歩し、単純な作業はどんどん人の手が不要となりました。人に求められるのは人間らしい自由な発想とアイデアです。集団と同化するとは真逆の行動が価値を産む時代となりました。
※学校教育では、閉鎖的な空間で、個性の違う30人前後の人間を長期間拘束し続けます。考えてみれば、そこに合わない人間が心を病んで不登校になるなんて全く自然なことです。システムが欠陥と言えます。その上で、学校教育の方針は『みんなと仲良く』です。土台無理な話です。人間関係で傷つくことを助長させています。きちんと人間関係、人との付き合い方を教えなければなりません。それは、自分と人とは違うと言うこと。異質なものを排除し、集団と同化することを是とする考えが間違ってることを教えると言うことです。そうして集団に属するために我慢することを強いられて育ってきた私たちだから、ブラック企業から逃れられず精神的に辛い思いをしてしまう社会問題が生まれているのではないでしょうか。
3.子供に安全な間違いをさせる
昔:コンピューターが未熟な時代、人の作業が仕事のメインでした。与えられた仕事を、いかにミスなく正確にこなすかが大事でした。そういった人材が重宝され、ケアレスミスをしたり注意散漫な人は価値を低く見られました。
今:正確性が求められることはコンピューターがやってくれます。決まったことをこなすのは明らかに人よりコンピューターの方が得意です。そういった仕事は真っ先に人からコンピュータに置き換わります。ミスをしないことよりも、より創造的な価値を生み出せる人間がこの先は様々な社会問題を解決し、人に価値を提供します。
※学校教育で教わるのは、「ケアレスミスを無くそう」「100点を目指そう」です。
そして、テストでいい点をとる。体育で運動ができる。美術で素晴らしい作品が作れる。そのプロダクト(アウトプット)だけが評価され、生徒にはそこを求めます。
当然、それができる人は最大級の賛辞を送られるし、できない人は低い格付けを与えられるだけです。
※そうではなく、チャレンジをし、命の危険が内容な安全な失敗を経験させて、そこから何を学び、どう自分の成長に繋げるかをしっかりと教えるべきです。
勉強する意味とは?
本来学ぶと言うことは面白いことのはずなのに、そこにテストでのミスを許さない窮屈さと、狭い社会集団の中でのランクづけによって、できる生徒もできない生徒でもストレスしか与えないものとなります。
体育もそうです。運動ができる子が活躍し脚光を浴びる。できない子は、日陰に入るしかない。本来、体を動かして自分の運動能力が向上することや、健康に寄与することが体育の目的なはずなのに、学校教育は子供を運動能力で格付けして上下関係を作るだけです。一部の人間だけが運動で活躍していい思いを残し、後の子たちはネガティブな感情しか残らない。多くの大人が運動不足となっている現状がその証左でしょう。
音楽だって同じです。うまく歌える、演奏ができることにだけフォーカスをする教育は間違っています。私はたまたま音楽が大好きだったので、学校以外に習い事をしていなくても音楽ができました。大好きなジブリの曲を、学校から帰ったら延々と耳コピしてリコーダーで再現するような中学生です。でもみんなそうではありません。ミスをしたら恥ずかしい、ミスをしないことが素晴らしいという教育が間違っているから、多くの子供達が本来の芸術の価値を見出せずに卒業していきます。
まとめ:必要な教育を学校に求めるのはナンセンス
ここまで記事を書いておいて、それでも私個人としては、これらの不足していることを今の日本の学校教育に求めることはナンセンスだと考えています。
なぜなら、システムが変わる見込みが限りなく低いからです。
硬直的になっているのは、多くの利害関係者によるものが大きい。即ち、現状を変えられると困る人たちがいるからです。そして、そういう人たちが決定権を持っています。
今の子供達と、その子供の親が、学校教育の問題点に気付いた時、どうすればいいか。
自ら行動を起こすしかありません。
必要なことは親が子へ教える。
子は自らも学ぶ。
これしかないと考えています。
世界的に流行するウィルスにも、勿論国の対応も不可欠ですが、何でもかんでも国がどうにかしてくれる、というスタンスはどうでしょう。
文句を言ったところで、国はあなたを守ってくれないかもしれません。それは国があなたを嫌ったり差別したりしているのではなく、物理的に不可能だからです。
厳しいかもしれませんが、全てやはり自己責任ということでしょう。
幸い今はネットが発達し、YouTubeで誰でも無料で有益な情報が学べるようになりました。
逆に情報が多すぎてみんなが色んなことを言います。迷います。
だからこそ、『自分が信じたい人の言葉』を信じることができます。
政府や会社に依存できない状況も、裏を返せば、自分のコントロールできることを増やせれば、人生はもっと自由で楽しくなります。
子供だけではなく、大人の私たちも、今からでも遅くはないので、しっかり学んでいければと思います。
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