パクリはクオリティの差がモノを言う

研究

パクリ

誰かの言動や作品、モノやアイデアを盗んで真似することを一般的に「パクリ」と言います。

ただこれは厳密な定義がないのが実情です。

同じような意味でも、「オマージュ」と言い換えると、途端に高尚な芸術っぽくなります。

(※オマージュとは、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事を指します。リスペクトの意味も含んでいます)

ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんが、過去にこんな記事を残していてすごく感銘を受けました。

「人間は、パクリを発見する事によって快感を覚える唯一の動物である。」

ゴールデンボンバー 鬼龍院翔『パクリとは何だ!?』
https://ameblo.jp/kiryu-in/entry-10532500367.html

ゴールデンボンバーの曲は、それこそまさにパクリの宝庫です。それを狙ってやっています。おそらくパクリが許せない、と言う人もいるでしょうが、私は彼らのパクリ方はすごく上手くて曲も楽しく聴いています。

ultra PHANTOM はこのクオリティだから許せる、って言うかスゴイ

でもそしたら『何でもパクってOKなの!?』とはなりません。そこにはどんな違いがあるのでしょうか。

クオリティの高いパクリは芸術の1ジャンル

結論として、パクリ(オマージュ)のクオリティが高ければ、それはそれでもう一つの芸術だと言えます。

ゴールデンボンバーの先のアルバムの例でいえば、サザンやB’zを思いっきりパクっているのは明らかです。

でも、このパクリ方でリスナーを楽しませてくれるのは、ゴールデンボンバーが唯一無二で、彼らが確立したオリジナルのスタイルの一つと言えます。

一番良くないのが、中途半端にパクってどっちつかずな作品になってしまったり、オリジナリティとなる部分が見えないようなパクリです。こういった作品は『パクリのクオリティが低い』と私は解釈します。

私も楽曲制作のオーダーを受ける際、「◯◯◯っぽい曲調で!」と言われることがよくあります。でもパクリはダメ、と。

そこがクリエイターを悩ませるところでもあるし、クリエイティビティの勝負所でもあります。

そもそも、音楽なんて数百年前に12音で作る現代の形式が形作られた、その規定演技の中での表現です。翔さんの記事のように、パクリと言い出したら今の世の中全てパクリです。だからパクリかパクリでないか、よりも、そのクオリティとオリジナリティが作る側にとっての命題だと言えるでしょう。

まとめ:楽しませられるか、楽しめるか

音楽は娯楽です。人々の心に寄り添えるかどうか。そこだけです。(時に悲しさに寄り添う音楽も、もちろん必要とされます)

作る側は、それでどこまで人を楽しませられるか。パクリと言うのはもはや前提条件で、そこにどこまでクリエイター自身のパーソナリティを織り込めるかが勝負です。

聴く側は、「これはパクリだ!」と断じる自由もありますが、そこに憤る必要はないはずです。

「パクリだ!」と思うものが、たとえ人に支持されていても、自分はオリジナルの方を聴けばいい。それだけです。

「いいオマージュだね!」聴く側がそう思えば、それを楽しめばいいと思います。

情報がフラット化した現代では、メディアが一方的に価値観を押し付けることが難しくなりました。

一昔前とは違い、メディアが流行りの曲を作り出せなくなり、結果、芸術作品が民主化されていくようになります。

作り手も、聴き手も、自分にとって幸せな音楽との関わり方は、単純にそこだけにフォーカスすればいいのではないでしょうか。

私も今日からまた、多くの人に楽しんでもらえるようなクオリティの高いパクリを目指して頑張っていきます!

サウンドハウス

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