野球少年は皆、高校まで続けて甲子園優勝を目指すべきなのか

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甲子園優勝だけが正義?

私は野球経験がほぼありませんが、野球と言うスポーツは好きです。

幼少期から野球をしている少年にとって、高校野球の甲子園が憧れであることは一般的でしょう。

でも、みんなそれを目指して頑張るべきなのでしょうか?

野球というスポーツをその時期にやることの目的は、上達して、強いチームに入って、大会で勝利するという、これだけでいいのでしょうか?

「勝利至上主義」という言葉はよく取り沙汰されますが、これは何が問題なのでしょうか。

甲子園で優勝することの現実性

試合で『勝つ』ことが全て

それだけを成功と定義すると、他の全てが失敗ということになります。

ですが、甲子園は年に2回しかなく、高校は通常3年間しか在籍できません。甲子園は計6回ということになりますが、一年生の夏や、三年生の春などはカウントしないとなると、もっとチャンスは少なくなります。人生のうちで、それだけです。

野球はチームスポーツなので、いくら個人の能力が高くても、それだけでは勝ち上がり続けることは難しいでしょう。チームメイト、監督、コーチ、サポートしてくれる全ての人、環境などの条件も大きく影響します。それは個人でコントロールできる範囲を大きく逸脱します。

そう考えると、個人の努力も勿論重要ですが、それ以上に『環境』や『巡り合わせ(=運)』が大きく結果に左右します。

「努力すれば夢は叶う」という言葉がありますが、努力以外の要素も見過ごしてはいけません。

野球やその他のスポーツを通して学ぶべきこと

スポーツには教育的価値があることは言うまでもありません。

そして、勝利を目指して自分を鍛え、チームワークを学ぶのも素晴らしいです。

甲子園優勝も本当に素晴らしいことだと思います。

でも、一番価値があるのは、目標に向かって努力し、人間として成長することにあるのではないでしょうか?

『甲子園優勝』という目標は、「人としての成長」という目的のための一つの手段であるべきです。

承認欲求を煽る危険性

甲子園優勝選手、ということで得られる『他者からの承認』を、目的としてはいけません。

それは人生にとってそれほど価値がないからです。

私は街を歩いていても、すれ違う人が甲子園球児だったか、甲子園で優勝したかどうかわかりません。

もし仕事の場でそういう人とお会いしても、「それは素晴らしいですね!」という会話以上何もならないです。なぜならそれは、過去の出来事で、今とは関係がないから。

甲子園に出てるから偉い、甲子園に出られなかったら偉くない、という価値観をもし持っていたとしても、世間には馴染まないし、あまり意味を持ちません。

野球少年たちへ。

そして、スポーツを頑張る全ての若い人へ。

試合で勝つことを目指しましょう。

そのために必要なトレーニング、チームワークを学んで、努力しましょう。

試合には相手がいます。勝つチームがあれば、負けるチームもあります。

試合が終わったら、自分と仲間の努力を認め、相手を認め、次の目標を探しましょう。

それを続けていけば、きっと素晴らしい世界が見えて、素晴らしい人と出会えますよ。

小学高から大学までラグビーひと筋で、今はミュージシャンをしている私が、全ての若いスポーツプレイヤーたちを応援しています。

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