理系の人が音楽理論で躓く理由

音楽総合

理論派の理系人が「音楽理論」で混乱する不思議

ピアノやギターなど、どんな楽器を演奏する上でも、また作曲や編曲をする上でも、音楽理論の勉強は誰もが通る道です。

音楽理論は幾何学的要素が強く、また楽譜の読み書きなどは覚えることが多いため、習得するのにコツが必要です。

誰しも、じっくり時間をかけて、実際の曲や演奏にあてはめて訓練していけば習得できるものではありますが、中でも理系の人は、意外とこの音楽理論に苦戦してしまいがちです。

なぜなら、音楽理論は数字や幾何的な要素を使いはするものの、それが定義として確立して、その上に積み上がっているものではないからです。音楽理論は、あくまで私達が音楽として聞いているものの音の並びの解釈の一つであり、それを便宜的に記号を用いて説明する手段に過ぎません。ところが理系の人は、「なにか一つの疑いようのない定義が存在し、それを演繹して答えを導き出す」という思考法に固執しがちです。こうすると、世の中には「音楽理論で正答の説明がつかない、間違った音楽」が溢れていることになります。

この時点で、理系の人は音楽理論の罠にハマってしまいます。音楽にはいろいろな解釈があっても、正解はありません。

音楽理論は「正誤」の判定に使えない

大抵、音を適当に並べただけでは、音楽として成立していないように聞こえます。やはりそこには、ある規則に従って、並べる音をチョイスしていくことによって、音楽的に「良い」と思えるものが出来上がっていきます。

しかし、そこでの音楽理論は所謂「後付け」の説明でしかなく、音楽理論から外れた曲や演奏が「間違い」ということにはなりません。結局は、演奏者や作曲者が「これがよい」と思った音を楽曲に反映させ、リスナーがそれを「よい」とか「好き」とか思ってもらえることが全てです。よって、音楽理論をガチガチに正しいものと考えてしまうと「この曲は理論的におかしい。なぜこんなことをしている???」と不毛な悩みを抱えてしまいます。

解釈を共有するツール

音楽理論は、音楽をやる人同士の、解釈を共有するツールだと言えます。例えば、C7というコードが書かれていたとき、ピアニストがピアノの低音部分でド、ミ、ソ、シ♭のクローズド・ボイシングを弾くことはまずないでしょう。C7のコードトーンとしては正解ですが、実際に弾くとメチャクチャ低音で濁った音として、多くの人がイメージするC7の響きとはなりません。

このように、音楽理論はすべてを包含する理論体系ではなく、私達ミュージシャン同士が意思疎通するためのツールだと捉えると、音楽理論で困惑することも少なくなるんではないでしょうか。もちろん、そういう意味では解釈の揺れも当然出てくるので、ある程度の経験値をもとに、その都度人間的な判断が必要になってくるでしょう。それを込みで、音楽理論を学び、音楽理論を利用してくことで、より自由に音楽を生み出すことができます。

まとめ

理系の人は、ある特定の定義をもとに展開されて、唯一無二の答えを導き出す理論に慣れています。一方で、音楽理論は感覚的に解釈される部分が多く、理論から外れるものが誤りではない、というような特徴を持っています。

ぜひ、理屈に強い理系の皆様にも、そういった別の視点で音楽理論を扱っていって貰えればと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました