アイデアを借りるのは創作の基本
オリジナリティを求められる創作の世界では、パクリ行為は許されないものとされます。音楽だけでなく、物語、イラスト、映像、造形などあらゆる分野でそれは当てはまります。
しかし、完全なオリジナルとはなにか?ということを考え出すと、これは明確な答えを出すのが難しくなります。なぜなら、どんな創作も、すでに存在している何らかの別の創作物の影響を受けて(意識的にしろ無意識にしろ)生み出されるからです。創作物にある特徴をモチーフと言ったりしますが、人間が何かを考えて作る以上、それはその人の見聞きした経験から生まれるものであり、よって新しい創作は、モチーフの組み合わせであるとも言うことができます。
このように、「パクリは駄目だけど、モチーフは他から引っ張ってくる」ということが、オリジナルな創作をする上では基本となることがわかります。
ガンダムとラピュタとエヴァンゲリオン
日本のアニメカルチャーを代表する「機動戦士ガンダム」は、未来の世界で地球に住む人々と宇宙植民地の人々との対立を描いたお話ですが、この設定は1966年のアメリカのSF小説「月は無慈悲な夜の女王」から影響を受けたと言われています。
また、スタジオジブリ作品の名作「天空の城ラピュタ」は、小人の国でご存知のガリバー旅行記の一遍にある「空飛ぶ島ラピュータ」が元ネタです。
近年のアニメ界で金字塔となっている作品「エヴァンゲリオン」も、巨大なヒーローが謎の怪物と市街地で戦うとか、活動限界が数分とか、これは特撮作品の「ウルトラマン」の影響を多分に受けて制作されていることが明らかです。
このように、多くの人が認める絶対的な人気作品も、過去の創作物から着想を得て生み出されていることがわかります。
どこからがパクり?
スタジオジブリのラピュタを「ガリバー旅行記のパクリだ!」と糾弾する人はまずいないでしょう。こういった、古典の作品から派生したようなものは、概念的にそのアイデアを使っていても、一般的にはパクリと見做されることはありません。
一方で、ネットが発達した近年では、漫画などの創作に対して、多くの人が様々な作品との比較をして自分の意見を発信できるようになったため、設定やキャラクターの容姿などが「パクリ」と指摘されることもよく目にします。
こうした中、パクリかそうでないかの基準を、厳密に定義することはほぼ不可能でしょう。それをパクリとみなすのか、アイデアを拝借したとみなすかは、受けて側の捉え方次第であり、造り手側は常にそのバランスを考えながらもオリジナリティを追求していかなければいけません。自分が「パクリだと思って作っていない」としても、受け手にそう思われてしまえば、その作品はそういう評価をされてしまう。創作というのは、蓋し作りてと受けての双方あってのものだと言えるでしょう。
オマージュを楽しむ
私達は、絶対的にオリジナルなものが好きかというと、案外そうでもない、とも言えます。
Mr.Children の「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」 のMVは、完全にエルヴィス・コステロのパクリなんですが、これは私はパロディとして非常に大好きです。コステロ風な洒落たロックを日本語のポップスとしてここまで成立させ、ヒットさせるは本当にすごい。他にも「レキシ」もパロディ的なPVを多く出していますが、あれはあれでレキシのオリジナルだと思ってしまいます。
TVアニメ「かぐや様は告らせたい」のed、「センチメンタルクライシス」の映像も、これはスタジオジブリ作品の「On Your Mark」の「翼の少女」っぽさがすごいです。ジブリ作品は以降のアニメで度々オマージュに使われているくらい、アニメ史の中でマイルストーンになっているので、こういったパロディ的な要素も見ていて楽しめます。
このように、ミスチルやかぐや様など、大衆向けとしてヒットしている作品の中に、過去の名作のオマージュが散りばめられていると、文化が継承してく過程を見れるような興味深さを味わうことができます。とても勝手な解釈ではありますが、「見る側が作る側と意思疎通できる瞬間」のようではないでしょうか?「あなたコステロ好きなの?いいねぇ、俺も好き!」「edのかぐや様、On Your Markの少女でしょ!いいよねぇ〜あれ、ジブリの短編で知名度低いの勿体ないよね〜」のように、同じ完成を持つ人と共感したような嬉しさを覚えます(そしてそれを創作してくれたことに感謝の念が尽きません)。
古典を鑑賞し、感性を育む
音楽、文学、演劇、絵画など、どんな創作物にも古典があります。流行しているコンテンツしかまだ知らない若い人は、そんな古典を知らないと「お前はこれも見ないと駄目だ」「聞かないとだめだ」とマウントをとられてウンザリすることでしょう。でも、たしかに古典は大事です。
そりゃ、60年代70年代の音楽を聞いても、今とはぜん派手さもなく、ザラザラとした音質なので聞きにくいかもしれません。昔の小説は文体や言葉遣いに馴染みがなくて読みづらいものです。でも、今のメインストリームは、どこかに必ずルーツがあります。常に新しいものを生み出し、自分の表現したいものを表現することに挑戦するクリエイターは、古典を必ず通る必要があります。全ては、多くの先人達が積み重ねてきたものの延長にあります。そこに、今の時代を生きる、世界で最新の完成をもった自分が生み出せるものをぶつけていくことが、新しい創作といえます。「好き」でも「嫌い」でも、何でもいい。大切なのは、自分の感性を軸に、創作物と向き合って、さらに自分の中に取り込んていくことです。そうすれば、創作者としての自分も、鑑賞者としての自分も、より豊かな心で創作を楽しめる生き方ができるはずです。
まとめ
音楽も、アニメも、文学も、すべての芸術や創作は、過去の流れの上に、今の新しいものが生み出されていきます。そこにはパクリなのか、オマージュなのか、非常に曖昧な課題が常についてくるものですが、創作者はそれをおそれずに自己表現をし、鑑賞者はそれを楽しめるかどうかを基準に考えるのがよいと思います。
多くの素晴らしい文化が、広く多くの人に行き渡る時代に生きていることを、改めて幸せに感じ、私も日々創作に励みたいと思います。
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