未来の自分への贈り物
子供や学生のうちは、大人になったら勉強から開放されると思いがちですが、大人になってこそ勉強の大切さがわかる、というのもよくある話です。「リカレント」といって大人からまた学び直す人もいるし、大人の教養的な本やYouTubeの動画も大人気です。
こういった話は、一部の意識高い系の人の謙遜ぶった高慢な態度に見えて、いけ好かない人もいるかもしれません。自分へのご褒美なんて、贅沢な食事やいい値段の服やアクセサリーに決まってる、というのもよくわかります。否定はしません。
ただ、そのご褒美が、自分に何を与えてくれるか、まで踏み込んで考えるとどうでしょうか?
贅沢な食事は、そのときの快楽と経験を与えてくれます。また、高級なものを身につけるのは気分がいいものです。その、「いい気分」を自分に与えてあげるのが、即物的なご褒美の本質です。
一方で、勉強は、自分にとってすぐに快楽を与えてくれるとは限りません。勉強自体が楽しいというのも勿論ありますが、それ自体が苦しい勉強のほうが多いでしょう。その勉強は、その瞬間や次の日には自分に何も与えてくれないかもしれませんが、積み重なっていくと、将来の自分に「選択肢」を増やしてくれます。
人は、知識やスキルによって、選択肢を増やせます。選択肢が多いほど、その人は自由に生きることができます。自由があれば、快楽を得ることも、嫌なことを避けることも、不自由な状態より、自らの意思で選択できるようになります。これは、「勉強して偏差値を上げていい学歴を身に着けていい勤め先にいく」というレベルの話ではなく、もっと大きく人生全体の価値に関する話です。自分が何を大事にして、どう生きたいかということは、なかなか簡単に決めたり見つけたりできないものです。だからこそ、それを見つけやすくするために、また見つかったときに自分の価値観を尊重できるようにするために、勉強して得た知識やスキルは自分の役に立ってくれます。
勉強が大切なんてことは、誰だって百も承知です。しかし、それを漠然と「嫌なことの我慢」と捉えるのではなく、「ちょっと先の自分へのご褒美」と思うと、勉強への見方が変わってくるのではないでしょうか。私は、何歳からでも、心をオープンにして、いろいろなことを勉強していける人生が素敵だと思っています。
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