大人になってまで人に叱られたくない・・・
子供(学生)と大人の大きな違いは、(立場として)叱ってくれる人がいるかいないかだと思います。
もちろん、子供のときは超絶優等生で誰からも叱られなかったケースもあるだろうし、逆に大人になっても職場の上司に散々叱られる人だっていると思いますが、この話題の焦点はそこではなく、「叱る立場の人」の存在の有り難さを取り上げたいと思っています。
まず、大人が子供を叱るのは、よくない行いをしているのを正すためです。例えば遅刻や提出物忘れなどの規律を乱す行為(人との約束を破る、という意味での)を叱ることで、自分を律してやるべきことをやる大切さを教えてくれます。これは、子供はまだ未熟で、保護者や周りの大人が適切に導いて育てていくべきだという考え的にも、正しいことだと言えます。
一方、大人は社会人として世に出ると、そんなふうに「自分を律する」ことはできている前提となります。職場に遅刻したり、人を傷つける言葉を言ったり、社会生活を営む上で相応しくない行動は「そもそもするはずがない」という前提で、大人同士は関わり合っていきます。
ですが、そのような前提で、大人はみな「成熟」しているんでしょうか?事実は全く違うはずです。私ももちろん、人間は永遠に完璧になどなれず、短所があり、失敗をする生き物です。程度の差こそあれ、よくないことをしてしまうことはあります。そんな私達は、自分の過ちを誰かに叱ってもらうことができるでしょうか?自分のことを客観的に観察してくれて、間違いに気づき、叱ったり注意したりしてくれる人がどれほどいるのでしょうか?もしそういう人がいないなら、自分でそれに気づけなければ、私達大人はずっとその間違いを直せないまま過ごしていくことになってしまいます。
自分で言うのも恥ずかしいですが、中学校くらいまでは私は超優等生で、先生に褒められまくってました。むしろ「先生に褒められるような行動をしていた」というのが正確かもしれません。次第に、高校では先生に反抗したこともあったし、大学では研究を真面目にやらなかったため指導の先生に散々怒られました。また、中学校からわりとガチな体育会の世界にいて、ラグビーでは先生やコーチや先輩にもめちゃくちゃ怒られました。当時は「私の悪いところを指摘していただき、感謝です!」なんて1ミリも思うはずもなく、怒りや自省などの感情でグチャグチャでした。
そんな経験をしてきて、今は起こったり叱ったりする人が「どんな目的で」相手を叱っているのかがわかるようになってきました。大人の世界ではいろんなレベルの人がいます。相手のためを思って言うこともあれば、ただの八つ当たりだってあるでしょう。そして、自分のことを指摘されるのは誰だっていい気分はしません。立場のある人が叱る行為すべてを正当化することはできませんが、その中でももし、自分のためを思って「叱ってくれる人」が身の回りにいるのなら、ぜひそういった人を自分の人生の味方につけるべきではないでしょうか。
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