大きな枠から小さな枠まで
時間の使い方が大切だということは、誰に聞いても明らかなことです。私達は無限に長く生きられないので、限られた時間をどう使うかが、人生の全てです。
「時間術的」な話は巷に数多く出回っていますが、それらに大体共通することは、時間を様々な枠の中で捉えることです。地球は24時間で一周し、人間もその間に活動と睡眠をします。社会は一年を12ヶ月と365日で割って動いていくし、私達はその1年分を年齢としてカウントします。こうした「自分では決められない要因」で時間が決まってる以上、それに合わせて自分の行動も決めていかなければいけません。
ここまでは当たり前の話です。しかし、私達は気をつけないと、この時間の使い方を「人に勝手に決められてしまう」ようになります。
例えば子供は、まだ自分のことを管理したりする能力がないので、幼稚園や保育園から、小学校、中学校、高校と、大人が決めた時間の枠の中で過ごします。やがて大学へ進学したり社会人になったりすると、今度は社会の決めた時間の枠の中で活動するようになり、定年退職や老後もそれに合わせてライフプランを考えるようになります。
このように、私達の時間の使い方の「大きい枠」は、予め社会が用意しています。なので、気づかなければ何も考えずにこれに従って生きていくことになります。それで自分の望み通りの人生を送れれば問題ありませんが、予期せぬことが起きたときは、誰もその責任をとってくれないことだってあり得る話です。
また、こういった「時間の枠」の考えを自分でもたないと、人生単位ではなく、毎日の日常も「他人にコントロール」されるようになります。学校や仕事の時間が決まっていると、それに合わせて行動し、自由になった時間は適当に過ごしがちです。計画を立てて何かやろうとしても、そのエネルギーは仕事で使い果たし、衝動的にアクションを起こしては、長続きしないということがよく起こります。
誰だって人生を自分らしく生きて、やりたいことをやろうと思うはずです。そのためには、自らの思考で、時間を枠として捉えて考えなければいけません。一日24時間の枠で何をどれだけやるか。一週間168時間の枠で何をどれだけやるか。月720時間、年8,760時間の枠でそれぞれ何をどれだけやるか。きっちり枠の中に何を割り振っていくか、ということを考えれば、バランスよく時間を使わなければいけないことに気づくし、また無駄なことをする時間もないことに気づきます。
ただ、恐ろしいことに、世の中は私達の時間を死物狂いで奪ってくるもので溢れています。誰だって自分のお弁当箱の中に、食べたくないおかずが入ってくるのは嫌なはずです。好きな食べ物がバランス良く入ったお弁当にしたい。時間も、ぜひ同じように考えて、「使う時間」を選ぶように意識してみてはいかがでしょうか。
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