安易に「わかりました」と言ってしまうことの弊害
「わかりました」
この言葉を私達は普段よく使います。
相手が何かを伝えてきたときに、それを受け取ったことを伝える言葉です。
一方、
「わかりません」
という言葉を使うのは、けっこうはばかられるものです。
コミュニケーションは円滑にすすんだ方がいいし、相手の言ったことが理解できないとバカにされるような気もするし、自分の言ったことが「わからない」と言われると怒り出す人もいます。色々なことを頭で考えた末、それが全くよくわからなくても、部分的にしか理解できなくても、
「わかりました」
と言ってしまうシーンがよくあります。
これが習慣になるとどうなるでしょう?
例えば学校なら、先生から教わる内容がわからなくても、「わかった」ということにしておいてしまうと、授業は先に進んでしまいます。自分がその内容を理解できないまま、勉強の内容は空白の上に積み重なっていきます。
例えば職場なら、上司の指示をよく理解できなくても「わかった」ことにしてしまうと、その場のコミュニケーションは円滑に行ったとしても、後々の実務で支障をきたすのは明白です。なぜなら、自分は「本当はよくわからずに」いるからです。
これは誰にとっても、不幸な状態になってしまうのではないでしょうか?
解決方法は、2つのアプローチがあります。
まずは、言葉を受ける側。こちらは、わからないことは素直に「わからない」ということがとても大切です。知ったかぶってその場をやり過ごしても、後々一番に困るのは自分です。それに、相手の言っていることがわからないという状態は、必ずしも自分だけに非があるとは限りません。相手の説明不足の可能性だってあります。その際は具体的に何がわからないのかを伝えてあげる必要があるでしょう。
一方の、人に言葉を伝える側。こちらは、相手が「わらかない」と言ったら、絶対に感情的になってはいけません。相手にわかるように伝えることが、話し手の何よりの努めです。人の知識や理解力にはめちゃくちゃ個人差があります。誰かに伝わる話が他の人にも同じように伝わるとは限りません。人同士のコミュニケーションはかなり曖昧であり、大切な話ならば、その差を埋める丁寧さが必要になってきます。
「わかりません」
という言葉を積極的に使って、自分にオープンになればなるほど、物事の理解が深まり、人とのコミュニケーションも深まります。もし、いつもなんとなく「わかりました」と習慣的に言ってしまうようならぜひ、ほんの少し勇気を持って、わからないことは正直に「わかりません」と言えるよう心がけてみてください。
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