嘘をつくのは面倒
正直は美徳ですが、誰だって多かれ少なかれ嘘をついたことがあるはずです。
嘘をつくときには目的があるはずです。例えば、「風邪をひいている」と嘘をつくのが「学校を休む」という目的のためだったり、「この商品は本物のルイ・ヴィトンです」と嘘をつくのが「安い偽物を売って儲けを出す」という目的のためだったりします。
このように、事実と異なる(と、自分では思っている)ことを言うのが嘘をつくという行為ですが、これは単に「人を騙す=悪いこと」というだけでなく、自分に負荷をかけるようなコストの高い行為である、というのが今回のお話のポイントです。
まず、嘘をつくのは心理的に負担がかかります。社会通念上、嘘をついて誰かを騙すことはよくないことなので、それには罪悪感が伴います。
そして、嘘のもう一つのポイントは「嘘の世界を拡張する」必要性が生じるということです。これはつまり、なにか一つの嘘をつくとき、その嘘に合わせて別の嘘をつく必要が出てくるということです。
例えば、仮に私が経歴詐称をする場合を考えます。「元Googleの社員でした」と嘘をつく場合、私が「元Googleの社員だった」という嘘の事実を正当化するため、他の嘘の事実が必要です。Googleへ入社するまでのプロセスだったり、Google勤務時代の仕事内容だったり、Googleで培った人間関係だったり・・・。つまり、最初についた嘘に合わせて、他の嘘もどんどん構築していかないと、辻褄が合わなくなってしまい、最初の嘘が有効でなくなってしまう、ということになります。
こういったことからも、嘘をつくという行為は、「自分への心理的な負担」と、「嘘のつじつま合わせのためのさらなる嘘の必要性」というコストがかかると考えることができます。
なお、「正直である」ことが美徳なのは言うまでもないし、「嘘をついて人を騙す」ことが良くないのは前提として否定しません。一方で、私達の社会や人間関係は、すべての人が正直でいてうまくいくほど簡単ではありません。暗黙の了解として、誰しもが「嘘」や、「方便」と言い換えて、時として正直でない言動をとることを容認しています。SNSやりまくってる現代人が自分を「盛る」ことだって、捉えようによっては「正直でない」とも言えます。広い意味での「嘘をつく」ということが私達にとって意外にも身近な行為だとするならば、その目的や、コストについても、しっかりと向き合っていかなければいけないのかもしれません。
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