あいさつ、時間を守る、身だしなみ
これは小学校か中学校で教わった標語ですが、「あ・じ・み」というのはご存知でしょうか?
「あいさつをする」
「時間を守る」
「身だしなみを整える」
これが大切なことだという教えです。大人になって様々な人と関わっていくなかで、この教えが大事なことは言うまでもありません。誰だって知っていることですが、知っているからこそ落とし穴があるように思います。
それは、自分の中でのこの標語の「捉え方」によって、クオリティにも差がでて、ひいては相手に与える印象まで変わってくる、ということです。
例えば「あいさつ」ですが、これは誰でも人と会うときにはやることです。しかし例えば、相手の目をみずボソッ〜という「・・・こんにちわ〜」と、相手の目をみて元気よく「こんにちは!」というのでは、同じ挨拶でもクオリティが全く違います。
同様に、「時間を守る」についても、約束の時間ピッタリにバタバタとやってきて「っセーフ!!」という時間の守り方と、予め5分前には約束に間に合うように、さらに不足の自体に備えてバッファをとって行動して「お待たせしました(謙遜)」という時間の守り方も、明らかにクオリティが違います。
「身だしなみ」についても、何が正解という画一的な指標はないにしろ、どの程度までキッチリやるかは人それぞれです。例えば、朝起きて5分で着替えて出発するのと、予定の1時間前には起きてシャワーを浴び、パリッとした服を着て、目ヤニ、耳垢、爪、ムダ毛、頭髪まで完璧に処理して出発するのでは、人と合うときの「身だしなみ」としてどちらがクオリティが高いでしょうか?
これらは、全てめんどくさいことです。やらないで済むなら、誰だってその方が楽です。一応、「あ・じ・み」を守っているんですから、文句を言われる筋合いはない。でも、そこには明確なクオリティの差があり、社会や相手に与える印象も確実に違います。
「あ・じ・み」を守るのは基本。そのクオリティまで気を配ってはじめて、自分にとって大切な「標語」としての意味を持つのではないでしょうか。
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