その気持の原因の、奥の奥には、自分の感情しかない。
私達は日々いろいろな人と関わる中で、他人に対して感情を抱きます。
それは感謝だったり、落胆だったり、憐憫だったり、怒りだったり。時にその感情が激しいと、相手のことばかりが頭を満たして堂々巡りになってしまうこともあります。
こういった相手への感情が、自分にとって不快なものであれば、それをはやく取り除きたいものです。相手の嫌なところが気に障るなら、それを直してほしい。相手に失望するなら、もっと期待に応えてほしい。そうやって、相手への要求が募っていきます。
しかし、これはあくまで「自分の中の感情」の話。一度自分が幽体離脱したようなイメージで、傍から自分を眺めてみるとどうでしょう。これらはすべて、「自分の心の反応」だということに気づきます。
なにか不快なことをした人がいたとして、それはその人の行為を不快に感じた自分の心の反応が出発点です。相手が期待にそぐわない事をしたら、それはそもそも自分が相手に期待していたことを裏切られたという自分の心の反応です。
さらにそれらを深堀りしていくと、そういった相手への感情は、まず自分に向けられていることにも気づくことができます。相手への怒りは、まず、不快な状況に対処できない自分自身への無力感が出発点です。相手への落胆も、自分が相手に期待して、思ったようにことが運ばないことへの無力感がもととなります。つまり、私達はどこまでいっても究極的に自分のことしか考えていなく、自分がなにかできるようになると嬉しいし、自分の力が及ばず良くないことが起こるとマイナスな感情が芽生えます。それが結果的に、自分の中だけで抱えることはできずに、外に(他人に)向かって発散されていくことになります。
とはいえ、こういうことを書いている私自身も、自分の感情を完璧にコントロールできるわけではありません。しかし、感情に振り回されると損をすることはこれまで何度となく経験してきています。そのため、自分にとってマイナスな感情はなるべく客観視してコントロールできるように努めています。まだまだ勉強中の身ですが、こういった考え方もあるということをお読みいただいて、皆様の日常でなにかの参考にしていただければ幸いです。
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