知識と能力の「範囲内」で世界を見ている
周りの人が知っていることで、自分が知らないことがあると恥ずかしく感じてしまいます。
周りの人ができることでも、自分が出来ないことを知ると、ちょっと惨めな気持ちにもなったりします。
しかしそれは、逆にチャンスでもあります。知らないことに出会えたら、それを学んで自分の知識の幅を増やすことができます。出来ないことがわかったら、それを出来るようにするか、出来る人を認識するか選べるようになります。これは、より人生がラクに進んでいく方向へと進みます。
そもそも、世の中の情報は膨大すぎて、とても一人の人間が把握しきれるものではありません。誰にだって知っていることと知らないことの差があります。なので、なるべく自分にとって大事なことを知ることができたら一番いいはずです。世の中に溢れている情報や知識の中で、自分が「知らない」ことに気づくというのは、大事だけどまだ知らないという状態の自分を発見することになります。これがどうでもいい情報だと、そもそもそんな気づきすら起きないでしょう。「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」というように、大事なことはどんどん聞いたり調べたりして知識をつけていくべきです。哲学者ソクラテスの「無知の知」という言葉は、それを自覚して謙遜している態度が偉いという意味ではなく、物事を学んで大切なことを追求しようとする姿勢の大切さを説いたものです。
それと、人の能力には差があります。みんな野球を練習しても大谷翔平のようになれるとは限りません。自分のできること、できないことに気づくのは、チャンスでもあります。人よりもできることは、それを伸ばすことによって誰かの力になります。逆に、人よりもできないことがわかれば、それを人に助けてもらうという判断ができます。私達の社会はお互いの協力で成り立っています。経済学の基本に「比較優位」という言葉があり、これは誰しも得意なことに集中することによって全体の利益が大きくなることを論理的に説明しています。一番やってはいけないのが、自分の殻に閉じこもる姿勢です。「私は誰にも劣っていたくない」と思っていると、それが違っていることを恐れ、自分の力を世の中にさらけ出すことを惜しんで、誰かの役に立つことさえできなくなります。逆に、「私には何一つできることがない」と悲観していると、せっかく本当は人より得意でできることにも目を背けてしまいます。
人間の視野は、自分が思っているよりメチャクチャ狭いようで、自分の知識や能力の範囲内でしか物事を見ていません。徹底的にオープンになって、自分と世界を見てみると、本当に知るべきこと、やるべきことが見えてきます(これは、裏を返せば不必要な情報、やらないでいいこともわかる、ということになります)。人から評価されまくる厳しい世の中・・・に思えますが、ちょっと肩の力を抜けば、そんなに何でもかんでも力まないでいいということが見えてくるのではないでしょうか。
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