美意識は言語で説明できない

My Voice

理由はすべて後付け

誰だって美しいもの、かっこいいもの、かわいいものに憧れを抱きます。それは自分以外の風景や音楽、物や人物に対してもそうだし、自分自身に対しても「こうなりたい」という観念的な理想を持ちます。

では美しいことの定義は何でしょう?また、かっこいいとはなんでしょう?かわいいとは?それらをひっくるめて便宜上「美意識」と表現してみますが、これらは言葉で一意に説明することは不可能です。その基準は一人ひとり違うのが当然で、全ての人に共通する規則や法則性を見出すことができないからです。よって、「〜な理由で美しい」とか「〜だからカッコいい」とか、一応の説明はできても、それは後付でしかありません。

それでは、こういった「美意識」は、どれが正しく、どれが間違っていると判別できるのでしょうか?そして自分は何を選択していったらいいのでしょうか?自分の普段の言動や、身なりや、考え方は、多くの人の「美意識」に沿っていたほうが好ましく、また一方でそれが自分の美意識を侵さないようにしなければいけません。なぜなら、自分の感覚より他人の感覚を優先してしまうことは、自分らしく生きることを放棄することに繋がるからです。ところが、私達の美意識は本質的に言語化することができず、論理的に導き出せるものではないため、いわば「正解がない」と言えます。

ネットで検索すれば大抵のことは正解がわかってしまう時代において、人の「美意識」だけは正解を導けません。だからこそ、こんな時代を人間らくし生きるためには自分の「美意識」を大切にし、育むことが必要になってきます。自然や芸術、人の心の暖かさなどに触れた折、それについて「どう感じたか」という自分の感覚を蓄積していくことによって、論理では説明できない「良し悪し」を判断できるようになります。それと同時に、同じものを触れたり同じ体験をしたときに、他人がどのように感じるかを知り、それを尊重することも必要です。そこには、共感を生むこともあれば、差異を感じることもありますが、共感だけが全て正しいわけではありません。いろいろな見方や考え方を知り、それもまた自分の中に蓄積することによって、自分の中の美意識はアップデートされていきます。

「友人の 評価はイマイチでも She So Cute」
(”シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜/Mr.Children”より)

この歌詞はとても秀逸です。誰になんと言われたって、あなたがいいと思ったものはいいんです。自分の好きな人、モノ、絵、歌、作品を、自分の美意識に自信をもって、大切にしてあげてください。

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