学校が嫌なら行かなくてもいい?

My Voice

きっと多くの人は「行くべき」と言う

世の中の変化が激しいと、これまでの社会の仕組みがうまく機能していかなくなるのは自明です。

産業革命で仕事がなくなった手作業の職人さんたちは機会をぶっ壊そうとしました。フォードさんがアメリカで自動車を普及させたら馬車や関連する仕事の人たちは廃業するしかありませんでした。

では、学校で真面目に勉強してちゃんと就職しても、昭和のような「夫会社員、妻専業主婦、子供二人、マイホーム」みたいな想定のモデルが、ごく僅かな人しか享受できないようになったらどうでしょう?それどころか、学校で勉強していることよりも別のスキルが評価され、それでお金を稼いでいる人が目立つ世の中になったらどうでしょう?

ここで、この頃は学校不要論みたいな話を目にすることも珍しくありません。好きなことをやったほうがいいとか、ベーシックインカムで働かなくても暮らせる世の中にすべきとか、まぁいろんな人がいろんなことをいいます。

私の意見は概ね、今のところは「学校に行って勉強して学歴はあるに越したことはない」です。今の日本ではまだこのシステムが機能するし、それで一定水準の生活や未来は社会的に保証してくれます。それでも人より成功したいと思うならば、本人に特別な素養があったり特別なアクションを起こしたり、豪運が味方に付く必要があると思っています。

ただし例外もあります。学校に行くことが本人にとって耐え難い苦痛である場合です。これは多くの「普通の人」にとっては理解されにくいものかもしれませんが、あんな閉じた世界で狭い人間関係を共用されるのは本来人間にとって苦痛でしかありません。それを我慢させ人との関わり方や社会を疑似体験するのが学校教育の意義の一つではありますが、それがとっても苦しくなる子だって確実に出てきます。いじめは社会問題としてずーーーっとなくなりませんが、学校というシステムの構造上なくなるはずがありません。そんなとき逃げ道がなければ、取り返しのつかないことが起きます。世の中を生きることはある程度大変で、忍耐が必要なこともありますが、自分の精神や体や命を守るために「逃げる」というオプションも積極的に肯定されるべきことだと考えます。

もとより能力がバラバラな私達が、ある仕組みや特定の評価軸で評価される以上、そこに「格差」は必ず現れます。みんなが足並みを揃えなければいけないという幻想をなくし、それを踏まえた上で誰もがお互いを尊重しあえる世の中を目指すべきであって、そのための具体的なアクションや共通認識の一つに「学校は無理していかなくてもいい」というのがあってもいいんではないでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました