視座が高いから「デキる」のか、デキるから「視座が高い」のか。

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理想と現実のジレンマ

世の中には自分の身の丈に合わない大きなことを言って成功する人がいます。いわゆるビッグマウスというやつです。

一方で、非現実的な理想を掲げて撃沈する人もいます。これを身の程知らずと言います。

結局、結果がすべてのような世知辛い話ですが、勝てば官軍負ければ賊軍とはまさにこのことでしょう。

また、控え目なことを言ってなんだかうまくいっちゃう人もいます。謙虚や無欲が称賛される例です。

他方、自分に対して否定的なことを言うことによって現実的にそうなる人も多いです。自己肯定感が低いとかのレッテルを貼られて、一部の意識高い系の人たちが忌み嫌うタイプです。

この4パターンのうち、きっと多くの人が自分に対して否定的なことを言って、その通りになるパターンでしょう。なぜなら、非現実的な理想を掲げて失敗したときのダメージがデカイ(と想定する)からです。そして一部のうまくいく人、成功する人はビッグマウス型か、控えめ型に分類できるといえます。

では、自分のやりたいことをしたり、理想を実現させるためには、どちらがいいのでしょうか?

控えめ型は、いわばパッシブで、地に足のついた進み方です。堅実ではあるものの、「自分でコントロールできる領域」は狭いといえます。悪く言えば、運任せみたいなものです。

一方のビッグマウス型は、それと比較すれば能動的です。自分でいかようにもコントロールできる分、やはりその結果において全責任は自分にあるとする考え方で、心理的な負担は大きくなります。

これについては、普遍的な真理、明確な答えは存在しないと思います。なぜなら、それは個人の考え方の違いによって導き出される答えが違うからです。すなわち、自分がどうしたいか、どうありたいか、何を以て善悪を決めるのかという価値観に関わる問題だからです。

もし、ビッグマウス型の価値観を選ぶとするならば、大抵は理想と現実のギャップに悩むことになります。それでも視座を高く保つことは精神的な負担を伴います。ですが、「もともとできるやつは視座が高くて当然」という考えを持ってしまうのは、その道の考え方から逃げることになります。むしろ、「視座が高いからこそ、デキるようになる」というスタンスを取らなければいけないことになります。「卵が先か鶏が先か」というような答えのない問題に、自分で答えを「決め」なければいけません。

このように書いてきましたが、私自身一度立ち止まって考えると、過度な能力主義(頑張ってできたやつが一番偉い)には懐疑的です。人との比較や競争を煽る考え方は好きではないので、やりたい人は好きなだけファイトすればいいし、身を粉にして競争に身を晒すのが難しければ、穏便に過ごしたければそれも全然いいと思っています。だから、「これが正しい」という話ではなく、その人その人の価値観に合わせた「適切な考え方」を持てることが一番重要なのではないかと思っています。

抽象的な話になったので最後に具体例を。ある小学生くらいの女の子が、アクセサリーショップでおしゃれなデザインのブローチをレジに持っていきました。店主は「お嬢ちゃんにはちょっと大人っぽいかもね」と言って、別の売り場の子供向けの可愛らしいブローチを勧めます。不満そうにする女の子に向けて「そうね、少し大人っぽい。でも身に着けていれば、いずれそれが似合う素敵な女性になれるはず。」と、近くにいたお姉さんが諭します。店主もその言葉に参ってしまい、女の子は嬉しそうにブローチを買っていきました。これは「キラキラ☆プリキュアアラモード」第10話の琴爪ゆかりさんのエピソードです。ちょっと背伸びしたい女の子に向けたベストなアドバイスではないでしょうか。ゆかりさんマジ視座高い。

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