謙虚さという建前で結果に言い訳する
私達は社会に属している以上、常に誰かから評価を受けながら生きていきます。
小さい頃は、家庭の中だったり、学校だったりと狭い世界ですが、成長していくにつれて属する世界が大きくなっていきます。
ただ、いつでも誰かの評価を可視化されたり言われたりするわけではありません、自分のやったことや状態について、自分でフィードバックを返さないと、自分が何を目的に日々の生活しているのかを見失います。そこで自己評価をするのですが、それは往々にして(私もそうなんですが)低くとってしまいがちです。
理由は2つ考えられます。一つは、将来の自分の状態や行動をより改善していきたいと思うため、うまくいったことやいかなかったことを認識するためです。自分を改善する判断材料を作り出すため、とも言えます。もう一つは、人からの評価の予防線です。仮に他人からの評価が自己評価よりも低いと、他人からは「自惚れている」と思われてしまう可能性があります。それは恥ずかしいと感じるものなので、なるべく避けたいという心理が働くと、それが自己評価を低くする動機づけになります。
しかしこの「自己評価を低くする」ことは、果たして自分にとってメリットがあるのでしょうか?
まず、1つ目の理由の「自分を改善する判断材料を作り出す」という目的で考えると、必ずしも自己評価が低いことがいいとは言い切れません。自己評価の方法にもよりますが、例えば良い自己評価をするときに「自分のやったことは全部よかった!大成功だ!」とした場合、次も同じような方法論で新しいことをやっていけばいいので、特に無理やりその評価を下にする必要はありません。また、自分の取り組みに対して「この部分はよくて、これだけの結果を出せた。うまくいかなかったこともあるけど、その結果はある程度仕方ない」とすれば、次につながる自己評価となります。反対に低い自己評価で「これをやったけどだめだった、自分はまだまだだ」というスタンスでいる場合、もちろん次への改善を考えることにはなりますが、取り組みの良かった部分について過小評価してしまう恐れもあります。やってよかった部分はしっかりと自分の中に蓄積していかないと、せっかくの取り組みが(結果だけで判断するせいで)台無しになってしいかねません。
そして、2つ目の「他人の評価とのギャップ」についてですが、これも気にするだけムダ、とも言えませす。そもそも評価とは、人それぞれの価値観によって大なり小なり差が出るものです。例えばテストの結果が100点満点中70点だったとして、それを十分に高いと見る人もいれば、30点伸ばせる余地があると低く捉える人だっています。自分がそのテストを受ける目的が、もし合格ラインの突破であって、それが60点ならば十分高い点数となるし、一方で「特典稼ぎゲーム」と捉えるならばまだまだ低いラインと見ることもできます。一番重要なのは、自己評価の目的であって、他人から見られる羞恥心を回避したりすることは、往々にして自分が日々何かをすることの目的からは遠いはずです(人から笑われたくない、恥ずかしい思いをしたくないというモチベーションで生きることを最優先の目的とするのを肯定するなら話は別ですが・・・)。
このように、自己評価を低く取ることが、自分の改善につながるという大義名分を成さない以上、その本質は「恥ずかしい思いをしたくない」という心理的安心のための逃げと考えることができます。生活が充足して成熟した社会となってくると、人々は心の充足を求めると言われます。自己肯定感は幸福感に大きく影響すると言いますが、自己評価を低くすることはその自己肯定感の向上からは遠くなる行為とも言えます。特に真面目な人ほど、自分自身で知らないうちにそういった精神状態に導いてしまいかねません。ぜひ、勇気をもって「自分にいい評価を与える」ことも検討してみてください。
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