ソシャゲへの課金は本当に無駄と言えるのか?

お金

「体験」に価値を見出すのは自然なこと

ここ10年ほどでスマホが急速に普及し、ゲームもソシャゲばっかりになっているのには改めて驚きます。私もスクフェス(ラブライブ)はけっこうやってたし、その他のゲームもちょこちょこ手を出した経験がありますが、「ソシャゲへの課金」については世の中で賛否両論あり、私も色々考えてきました。

結論として、課金を「お金の無駄使い」だと言ってしまうのは間違いです。それは古い価値観に凝り固まっているだけで、課金する行為自体は消費行動として全く正しいことです。

そもそも私がソシャゲに出会って最初に覚えた違和感が、「なんで、たかが画面の中のデジタルの絵に、お金を出すの?」と思ったことでした。基本プレイ無料、その中で遊んでいくうちに運良くガチャを引ければ手に入るような単なるデータを、何千円も何万円も突っ込んで手に入れようとするのが最初は理解できませんでした。

しかし、それは私が「実際に形に残るものにしか価値がない」と思っている考え方のクセが出ていただけであって、「デジタルデータを自分のアカウントに紐づけて所有することの価値」を理解していないだけだということに気づきました。

そもそも、人が何に価値を感じるかは人それぞれです。ジャズの生演奏のライブが好きな人はジャズバーにお金を払って入り、演奏を聴いてお酒を飲んで、「思い出」を手に入れて帰宅します。バレエが好きな人は舞台に見に行って鑑賞し「思い出」を手に入れるでしょう。美少女フィギュアが好きな人は発売前に予約して数体確保し、箱から出したり棚に飾ったりして鑑賞するという体験を手に入れます。それぞれの趣味嗜好において、全く興味がない人にとっては1円も払いたいと思わないことですが、人によってはそれが数千円だったり数万円だったりの「価値」を感じてお金を払います。

そういった意味で、ソシャゲへの課金は、それによって得られる「キャラクターの豪華な絵」とか「レアアイテム」とかいった、希少価値の高いものを手に入れられるようになります。こんな体験はそのソシャゲへ課金しなきゃできないことで、それに価値を感じた分だけお金を支払うことは、バレエの舞台の鑑賞のために入場券を買うことと本質的な意味は同じです。

私は小さい頃から「自分の好きなもの」にこだわりがあって、ミリタリーとか仮面ライダーとか電子工作とか、所謂オタク的な趣味のものが好きでお金を使っていました。大学生になってアニメファンになってもその傾向は変わらず、世の中の流行とかよりも自分の価値基準が最優先だったため、基本的に自分の好きなものが他人と共通するわけではないという認識に立っていました。なので、「人が好きなものは人それぞれ」だし、それにいい悪いの判断をつけること自体が間違っているという考えをもっていて、それはお金の使い方についても同じことが言えると思っています。(過去の自分はそこまで抽象的に考えることができていませんでした)

ただし、ソシャゲはあくまでも娯楽ですので、ハマりすぎて生活を圧迫するような浪費をしないように注意するのは言うまでもありません。使えるお金や時間は人によって違うので、人と比べすぎず、無理なくマイペースで楽しむのが一番です。

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