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完璧主義は「ここぞというときのキメ技」くらいが丁度いい

夏も終盤に差し掛かっていますが、今年の「夏の目標」を現時点で覚えて取り組んでいる人はどれくらいいるでしょうか?もしくは今年の1月に立てた「新年の目標」も、今の進捗はどれくらいでしょうか?

このブログでも何度かトピックにしてきましたが、人が「完璧に何かをする」というのはとても難しく、捉えようによっては非現実的とも言えます。それでも学校や会社など「誰かが決めたルールに基づいて評価される」ことを植え付けられた私達は、自分が評価されることの怖さも身に染みてしっています。さらに昨今ではSNSでも自分の投稿の「評価(と、捉えられるような)」が、いいねボタンなどによって残酷に可視化されます。一部の優秀な人や、目立つ人が注目される一方で、その他大勢は目立つこともなければ、下手をすれば批判を多く集めてしまいかねないという構造もあります。

誰だって完璧にやりたいし、人から認められたり褒められたりしたいものです。でもその「完璧主義」は多くの場合では悪影響を及ぼします。特に、完璧にやりきるということが難しい以上「やっても無駄だからやらないほうがいい」という合理的な結論を出してしまいがちです。そう、これは賢く、合理的な選択なんです。だから、何かに挑戦したりすることを諦めてしまう人が多いのは自然なことです。

では、その「合理的な結論」を選択し続けるとどうなるのでしょうか。それは、「新しいことをやらず、今のままでいる」ことが最もリスクの少なく安全な状態であるということになります。このように、人は「新しいことにチャレンジして自分を変えたい」という意識的な欲求と「失敗するリスクを避けたい」とう無意識の欲求がバトルし、後者が勝ちやすいようになっています。別に意思が弱いとかそういう話ではなくて、これは自然なことであると言えます。

それでも、もし何か新しいことにチャレンジして自分を変えたいと思うなら、まずは「中途半端な自分」を受け入れるところからスタートしなければなりません。すべて最初から完璧にいくなんてことは、(極めて特殊な例を除いて)不可能だと考えるのが妥当です。でもそれさえ知っていれば、「完璧でない自分」を恐れずに進むことができます。あなたも私もそうであるように、大抵は他人のことなんてそんなに興味ないので、完璧だとか不完全だとか気にしているのは基本的に自分だけです。その評価が実質的な悪影響のないものであれば、あとは自分の心次第ということになります。やらないより、中途半端でもやって、その経験というデータは誰のものでもない貴重な財産となります。もし「何か完璧にできないこと」を恐れてしまっている状態ならば「今日が人生で一番若い日」という言葉にもあるように、躊躇したら後に待つのは後悔だけになってしまうので、ほんの少しでも、なるべく早く、アクションを起こしてみてはいかがでしょうか。

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