「社会人になったら遊べないから学生のうちに遊んでおけ」は大嘘

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「学生の本分は勉強」という意味も誤解されてる

私の育った時代にはよくこういうことが言われていました。

例えば高校に進学する前は、「高校は勉強や部活が大変になるから、中学卒業後の春休みは遊んでおいたほうがいい」とか。

就活を控えた大学生のときは、「社会人になればまとまった休みはなかなかとれない。学生のうちに遊んでおいたほうがいい」とか。

この言葉の真意はなんでしょう?それはつまり、言う側の人が「自分は大変な思いをして頑張っている、けど君はまだそれを知らない。私のアドバイスに従っておいたほうがお得だよ」とマウントをとっているに過ぎません。

これがさも真理であるかのように語るのは大嘘と言わざるを得ません。なぜなら、勉強や部活で大変でも要領のいい人はしっかり遊ぶし、社会人も有能な人はしっかり休みをとってしっかり遊びます。そういった人たちは自分の人生の時間を自分の裁量で自由に使う意志と能力があるから、学生に対してそんなことを言うことはないでしょう。

そもそもいちばん大事なのは、「その時、自分にとって何が大事で、何がやりたいか」に尽きます。高校進学前に目一杯遊びたければ遊べばいいし、逆に高校に備えて予習をがっつりやりたいとか部活のために体力アップしときたいとか思ったら、全力でそれをやるべきです。大学でもその時間をめいいっぱい遊びたいと思えば遊べばいいし、勉学や自己研鑽に励みたいと思えばそうすればいいだけです。

こうしたまやかしの根底にあるのは、「勉強はしなければいけないもの」「仕事は会社に勤めて自由を奪われるもの」という受け身の考え方です。「学生の本分は勉強である」というのは、学校の教科をチャイム着席して課題をこなすことを意味するのではなく、その期間は広い意味での「学び」に集中できる時間と権利を社会が保証しているということなのです。だから何が自分にとっての学びかによって自分が重点を置くものは違うし、人それぞれがそれを選ぶべきです。同様に社会人も「自由がない」と言っている人は自らその隷属状態を選んでいるにも関わらずそれを社会のせいにして頑張っているフリをしているだけです。自分から主体的に仕事や余暇やパートナーなどのライフスタイルを選択している人はそんな他責な考え方はしないですし、学生に対しては「自分の頭で考えること」を促すでしょう。

学生の人が、適当な大人にそんなことを言われたら聞き流すのをオススメします。自分のやりたいこと、やるべきことは自分で責任を持って選んで決めてください。そしてたくさん失敗してください。それが学生に許された「学び」です。

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