結局、学校の勉強は役に立った?

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学者にも公務員にもサラリーマンにもならなかった人

小学校や中学校で義務教育を受けてきた人なら、「こんな勉強なんの役に立つんだろう?」と誰しも一度は思ったことがあるはずです。

はい、その疑問、30過ぎた大人がお答えします(20年前のわーさー少年へ)。

まず、勉強した内容については、7割方は今でも役に立っていると思います。特に小学校の国語、算数、理科、社会はやはり基本で大事です。あの基礎がなかったら、その後の勉強と、そして大人になってからの生活でかなり支障をきたしていたことでしょう。

さらに中学、高校で習うことも、けっこう今でも役に立つ知識が多いと思います。特に国語(現代文)、英語、歴史などの文系科目はそのままの知識が役に立っています。仕事のやり取りで日本語のコミュニケーションはとても重要だし、文献や人の文章を理解するのにも国語力は必須です。英語も、やはり喋る機会がなくても読む機会はけっこうあります。歴史も土台を知っておかないと、現代にある物事を文脈を含めて理解するのに必要です。

一方、数学や物理、化学、生物などの理系科目は、そっくりそのまま現在でも知識を使うというケースは稀です。微分積分とか熱力学とか、概念は知っていて悪いことはないですが、その知識で実際に計算して何かを調べたり答えを求めたりすることはほぼありません。かといって、これらの勉強が全くの無駄だったというわけではなく、論理的に思考して唯一の回答を導くという一連のプロセスを訓練することは、他のどの分野でも役に立ちます。今やそれらの複雑な計算自体はほぼ機械任せでOKではありますが、機械に司令を与えるのは人間の方です。「なぜそうなっているのか」という理屈をしっかり考える力は、どんな場面でも人間的な力となります。

なお、体育や芸術の分野は、もちろん内容としては人生にとって有意義なものです。ただし、その学習の方法については、多くの弊害をもたらすものだったと思っています。他の科目は、先生や学校自体の環境が悪くても、塾や自習でなんとかなりますが、体育や芸術はなかなかそうはいきません。特にこのコロナ禍で多くの人が外出を控え、それでいて運動習慣が身についていないためにどんどんお肉がついてしまう人が大勢いるのは、目的としてみた日本全体の体育教育の失敗ではないのでしょうか。

結論として、義務教育や高校で学んできた多くのことは、今になってその重要性に気づき、自分の力になってくれていることを実感しています。勉強しているときは意味がないと思ってしまうかもしれませんが、意味をもつかどうかは将来の自分次第だということにもなります。私は、当時勉強はある程度頑張っておいてよかったと、今でも思っています。

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