映画やアニメを倍速再生するのは、逆に時間がもったいない。

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便利な倍速再生とその弊害

高速なネット接続とスマホなどのモバイル端末が当たり前になっている今、YouTubeやNetflilxなどの動画配信サービス、そしてAudibleなどのオーディオブック、Voicyなどの音声メディアコンテンツが人気です。これらの利点は、テレビやラジオと違って自分の好きなタイミングでオンデマンド視聴ができるというのと、再生速度を任意にコントロールできるというポイントがあります。

時間を有効活用したいと考えれば、当然1つのコンテンツを消化するのにかける時間は短いほうがいいです。なので、自分が理解できる限界まで再生速度を上げようとするのが合理的でしょう。実際に私も、YouTubeで情報収集をしたり、オーディオブックで本を聴いたりするときは、1.5~2倍速で再生するのが基本です。コンテンツ(音声の話者の話すスピードなど)によっては、ゆっくりすぎればもっと速くするし、逆に元から早口な感じだったらそこまで速度を上げなかったりします。こうやって、視聴者にとって最適な速度を調整できることは、オンデマンドコンテンツの重要なメリットの一つです。

一方で、「映画」や「アニメ」「ドラマ」なども、倍速再生で観るという意見をよく見受けます。私はこれができないし、したくもないと思っています。その理由は、「逆に時間がもったいない」と思うからです。

映画、アニメ、ドラマなどの映像作品は、時間の芸術です。映像の動きや切り替わり、登場人物のセリフ、そして音楽も含めた全てが、制作者の意図した時間に沿って動いていきます。これが、作品として出来上がったものとは違う速度で再生される場合(それが倍速にしろスローにしろ)、制作者が意図したものとは違う表現のものとなってしまいます。私は音楽家なので、特に音楽に関してそれを顕著に意識します。1.1倍でも速度が変われば、それはもとの音楽とは別の音楽になります。同様にして、映像も、役者の動きも、アニメーションも、セリフも、再生速度を変更すればそれらは全てもととは違ったものになるはずです。

もし、「時間を効率的に使う」という目的で、これらのコンテンツを倍速再生するのであれば、それは倍速になって入ってくる「情報」を得るためだけに時間を使っていると言えるでしょう。そのために、その早回しにした時間の中では、映像や音のもつ表現は一切手に入れられないということになってしまいます。これは逆に、時間の使い方としては無駄と言えるのではないでしょうか?少なくとも、誰かが映像や音楽の作品について語るとき、それを倍速で消化したとう人が言う内容について、その人は制作されたコンテンツの表現を体験していないのだから、私はそれを聴く価値がないと判断します。

いろいろ便利なことができる時代ではありますが、本質的に「その行為の目的はなにか?」ということを考えなければ、結局はテクノロジーに振り回されて自分の人生の時間を無駄にしてしまう、というのが私の考えです。

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