他人の本当の意図は知り得ない。自分の本当の意図に気づいていない。
人がなにか話したり行動を起こしたりするのには、何かしらの意図があります。
赤ちゃんが泣くのはお腹が減っていても自分ではどうすることもできないため、周囲の人に訴えて世話をしてもらう意図があります。
小学生男子が好きな子に意地悪するのは照れ隠しの意図です。
学校の先生が、宿題をやってこない生徒に声を上げて叱りつけるのは、威圧によって自分の言うことに従わせる意図をもっています。
会社の上司がパワハラするのは・・・と、このように例を挙げればキリがありません。
私達はこの意図を、しばしば見誤ります。
まずよくあるのが、他人の意図を勘違いしてしまうこと。単なる指摘が自分個人を批判されていると受け取ったり、せっかく褒めてくれるのにそれをお世辞だと思って嫌な気分になったり、大抵はネガティブな方向に勘違いしてしまうことが多いです(ポジティブに勘違いするとイタイと思われるため、予防線を張る意味でこれも致し方ない面があります)。
そしてもっと厄介なのが、自分の本当の意図に気づいていない状態です。例えば、他人に対してトゲのある態度をとるとき、自分では「虫の居所が悪い」とか「体の調子が悪い」とか、やむを得ない原因があると考えてしまいがちです。しかし、たとえそんな状態だったとしても、全ての人に対してトゲのある態度をとるでしょうか?自分が憧れるその道のスターだったり、会社のめちゃくちゃ偉い人だったり、尊敬する恩師だったり、必死に闘病生活をしている大切な人を前に、そんな態度が取れるのでしょうか?つまり、自分の状態が原因なのではなく、「トゲのある態度をとる」ことによって「達成したい目的がある」と考えるのが自然です。それは、不機嫌で威圧的な態度をとると、大抵の人は自分に気を使ってくれます。(いやいやでも)言うことを聞いてくれやすくなるし、自分への対応を優先させてくれます。このように、単なる自分本位のワガママを通すという意図が「他人に対してトゲのある態度をとる」目的ですが、それを自覚してやるのはあまりにも傲慢であるため、「自分の状態」が原因だというロジックにすり替えてしまいます。
これらはあくまで例にすぎません。大切なことは、相手の真意など宇宙の真理と同じくらいわかりようがないので、詮索や決めつけが危険であるということが一つ。そして、自分の言動の意図は自覚のないものも多く、不都合なことに目をつむるようすり替えてしまいがちだということです。人間の頭というのは無駄に(?)高性能なので、「物事のありのままを見つめる」というのが案外難しかったりします。私もそれで何度も失敗してきているので、これからも気をつけていきたいと思っています。
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