根性論が思考停止の『逃げ』である理由

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何事も頑張ればどうにかなる?

学生時代は勉強やスポーツ、そして大人になればみんな仕事を頑張っています。

その頑張りは自分のためでもあるし、がんばった分社会に貢献できれば、他の人達のためにもなります。

頑張れ。

気持ちだ。

根性だ。

そうやってこれまで指導されたり、また自分をモチベートさせてきた人も多いのではないでしょうか。

しかし、じきに多くの人は気付きます。

頑張るだけでは、どうにもならないものがあるという事実。

根性が役に立つどころか、その身に悪影響を及ぼす事実。

これだけ科学が発達し、情報が流通するようになった現代では、根性で人の行動をマネジメントすることへの疑問がオープンになるのは自然なことだと思います。

私個人の昔の話ですが、やはり「根性」という精神的なものは、かっこよく美しくこの目に映っていました。勉強もひたすら根性で頑張って受験を乗り切りました。部活のラグビーも、腰を痛め、肩が頻繁に脱臼するようになりながら、青春の全てを捧げる覚悟で取り組みました。今思えば、そんな「しんどいけど強い気持ちで頑張る」自分に酔っていたのかもしれません。得られた成果もありますが、それが目的に対する正しいアプローチだったかは、甚だ疑問です。

未来のことを正確に予測することは誰にだって不可能です。でも私達は未来に向かって生き続ける必要があります。そして自由に人生を選択できる代わりに、この身に起こることは基本すべて自分で責任を負わなければいけません。望む未来を手にする方法は、「根性」だけでいいのでしょうか?未来のことはわからないから、考えることを放棄してしまっていいのでしょうか?自分自身が何かに取り組むときは、考えなしに根性を持ち出すのは危険です。そして大人の立場から、誰かを導くときも、根性を持ち出すということは「考えていない」ことの証左です。「根性の有無」を言ってしまえば、失敗や成功の根拠を有耶無耶にできます。しかしそれはあまりにも稚拙ではないでしょうか。生き方や価値観がますます多様化するこれからの時代、学び、考え、決断する大変さからの『逃げ』として根性を持ち出さないよう、多くの人が気をつけなければいけないように思います。

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