「子供のため」という大義名分で大人のエゴが通ってしまう
私達はたくさんの大人の意見を聞いて育ってきました。親や家族、保護者、学校の先生、塾や習い事の先生など、それぞれの立場で大人は子供にアドバイスをします。
誰しもある程度大人になると、過去を振り返って後悔することなんて山のようにあるでしょう。それまでのたくさんの意思決定のうち、どれだけ心のそこから自分の意志で決めたと言えるでしょうか?どれだけ大人の意見に従ってきたでしょうか?それらは明確な線引は難しいにしても、大抵は様々な大人の意見が介入していることは間違いありません。例えば、「いい学校に進学しましょう」「部活を続けましょう」「学生のうちは遊んでおいたほうがいいよ、社会人になったら遊べないから」などなど。大人は自分たちのポジションで勝手にアドバイスをしてきます。
子供より長く社会経験を積んでいる大人は、子供の幸福や安全な人生のために良いアドバイスをするべきです。しかしそれは時として、「大人が自分のため」にしているアドバイスの要素も含んでしまうことが少なくありません。それは、「自分の意見が正しいことを証明する」ためとか、「自分が面倒をみた子供が活躍すれば自慢になる」とか、一方的な大人側の都合を元にした意見です。それが結果として子供のためになるかならないかは別として、「子供の意思」を介在せずにされているアドバイスは、大人のエゴとしか言えないのではないでしょうか。
現代の私達は、かなり自由に生きることができますが、その反面、自分の身に起こることの殆どは自分の責任となります。就学が終わった段階で、スパッと「さぁ自由にやってってね。ただし全部自己責任ね」という状態です。でもそんな覚悟で社会に臨んでいる人なんてどれくらいいるんでしょうか?だから、なにか自分に不都合なことが起きたら他人のせいにしたり、テレビで政治や有名人や悪目立ちする人を叩いて気持ちよくなってしまうような、他責思考の人が多いと感じています。そんな大人がまた子供に自分のエゴでアドバイスをして、子供の意思を尊重しないような育て方が続くと、いつまでもこの連鎖は止まりません。
自由に生きるというのは、かなりしんどいことでもあると思っています。自分のアタマで考えて、自己責任で判断をくだすのは脳みその重労働です。しかし現代は、もう画一的な思想や価値観で人をコントロールすることは不可能で、多様性なんていうのは尊重するものではなくそれが当然としなければいけないようになっています。誰かが決めたことや意見に盲目的に従うのではなく、自分が何を大切にし、どう考え、どう意思決定するか、それが最も重要であることを前提として、まず私達大人が考え、そして次の世代の子供を導いていくべきではないでしょうか。
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