一生涯かかるコストを抑えられればその分を他に使える
私達は日々生活するために、どれだけのお金がかかっているでしょうか。
着るもの、食べるもの、住む場所。
体調を整えるもの。
コミュニケーションをとる手段。
移動する手段。
所有物の保管。
細かく家計簿をつけて分析していればわかりますが、特に贅沢をするんでなくても、日々生きていくだけでお金はかかり、それぞれは少額でも長い目で見ればチリツモで大きなコストになります。
だからといって、何もお金をかけないで完全に自給自足して生きていくことはとても困難です。雨風をしのげる家を建てて保全したり、着るものを織ったり、食料を調達したり、根本的に生物として生きていくことすら、お金を払って誰かの力を借りなければままならないでしょう。
ここで、考え方を少し工夫します。誰かにお金を払わずすべて自給自足できるレベルを仮に定義してみます。無人島に行っても寿命まで生活できるような状況を、自給自足レベル100とします。逆に、自分の生活を支えることが自分の力で全くできない状況を、自給自足レベル1とします。
自給自足レベル100を目指すとなると、相当な野生児でないと厳しいでしょう。身の回りのものを整える力はもちろん、ちょっとの怪我や病気や災害などにも負けないタフさが必要となります。これはちょっと極端です。一方で、自分の意図にかかわらず自給自足レベル1の状態であるならば、生きている間はつねにお金がかかり続けることになります。
さて、こう考えたとき、自分の自給自足レベルはいったいどれくらいでしょうか?レベルが100から1に下がるにつれて、生きていくのに必要なお金の量が増えます。おそらく、100に近い90や80付近の人は稀でしょう。ごくたまに、テレビやネットで山奥で自給自足生活している人の紹介がありますが、いくらお金がかからないとはいえ、それだけの苦労を受け入れられる人は少ないはずです。現実的に見れば、家を購入したり借りたり、それを維持修繕するのはお金を払って誰かにやってもらいます。自分で服を作るのは趣味の領域だし、ましてや(布)生地から自分で作る人なんてそういないでしょう。食べ物も、完全に外食で済ますか、誰かが育てた食材を買ってきて自分で調理するか、といった選択がほとんどです。こう考えると、私達の自給自足レベルは1に近い方に偏っているでしょう。
こうなると、生活のコストを下げるには、自分で苦労をして自給自足レベルを100に近い方に上げていくしかないように思えてきます。ですが、コストという面については、実はもう一つ変数があります。それが、量です。そもそもの話、住む家が小さければ、買ったり借りたりするお金は安く済みます。服も、量を買わず質素にすれば使うお金は少なく済みます。食べ物も、そもそも食べる量を減らせば食費は減らせます。これだけダイエットの需要があることからも分かる通り、多くの人は生きていくのに必要な以上に食べすぎています。
今回は、衣食住という基本的なものに限っての話になりましたが、他にもケータイ代などの通信費、電車や車などの移動交通費、散髪やエステやジムなどの理美容、健康維持増進にかかる費用。これらも、便利だし必要なものではあるものの、それをなくすことができればその分お金も浮きます。これを、ケチケチして息苦しいと感じるか、そもそも必要ないものだから全然苦じゃないと捉えるかは自分次第です。自分に必要だと思って支払っているものが、見栄や体裁のためだったなんてことも珍しくありません。自分の時間と人生を有意義に過ごすため、本当に自分が価値を見いだせるものに時間とお金を使うために、生活コストの見直しはとても有効です。よければ、ぜひ自分の自給自足レベルを考えて、日々の支出を改めて見直してみてください。
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