目的を考えさせない日本の教育
日本人は勤勉で真面目だと言われます。
与えられた仕事は一生懸命に取り組みます。
ただ、周りの人と比べてしまうと、様々な能力には個人差があって、それで一喜一憂してしまうかもしれません。しかし全体的なレベルとしては、とても優秀な人が多いというのも納得できます。
でも多くの人が、「成果を出す」ことについて悩んでいます。
なぜなら、「仕事に真面目に取り組んで高いパフォーマンスを出す」ことと、「成果を出す」ことは、直線的には繋がりません。
例えば、上司に直近の業務内容を報告するための資料をパソコンで作るとします。真面目に取り組んで一生懸命資料を作ると、たくさんの文字が並び、図表は整えられ、見事な出来栄えのpdfファイルが出来上がるかもしれません。しかし、そのために費やした労力と時間は本当に必要だったのでしょうか?また、出来栄えがよくても、それが本当に上司を満足させるものになっているのでしょうか?
この場合の目的は、「上司」に「業務内容」を伝えることです。上司が既に知っている情報は不要ですし、会社内の身内の人間なので書類の見栄えの良さにこだわる必要もそこまで大きくありません(読みやすさは気遣いとして重要ですが)。上司が求めているものを考え、必要最低限の資料を素早く用意することが、この場合の最も高い成果です。なぜならば、より少ないリソース(労力や時間)で最大の価値(上司が情報を手に入れる)を生み出すからです。
多くの人がこのような発想を持って仕事ができれば世の中の生産性は大きく上がるのですが、それが難しいのが現状ではないでしょうか。その理由は、私達が「目の前に与えられたタスクをこなす」ことに特化するよう教育されてきたからだと考えています。
思い返してみると、小学生で誰もが抱く「なぜ勉強をするのか?」という疑問に、明確な答えを教えてもらえたでしょうか?はっきりとした目的意識をもって勉強してきた子どもたちがどれだけいるでしょうか?進路を決めるとき、「親や先生がそうしろと言ったから」「周りがみんなそうしてるから」でなんとなく選んえしまう人がほとんどではないでしょうか?人生には様々なことが起こり、選択を迫られ、選んだ結果は自分で責任をもって引き受けなければいけません。にもかかわらず、自分のやることの「目的」を明確にすることは軽んじられ、「常識」や「集団心理」や「同調圧力」によって、やる内容の良さを最大化することに徹底的にフォーカスさせられてきたからこそ、今の日本人像が出来上がっているのだと思います。
正直、考えることはシンドいです。
「目的」なんて考えなければ、目の前のことを一生懸命やるだけなので、ラクです。
でもそのせいで、「いつも頑張っているのに報われない」と思ってしまっているならば、そもそもの考え方を見つめ直してみることが大事です。「目的」にむかって「やること」を選べるようになれば、それが「成果」へと直線的につながっていきます。
コメント