いい人は損をする?
人間誰しも、自分と周りを比べると、他人のことを羨ましく思ったり、自分が損をしていると感じることがあります。
「いい人」は、他人を大事にして、自己中心的にならずに行動する人です。それが大事だということを親や学校から散々言われてきました。でも世の中でオイシイ思いをしている人たちは、程度の差はあれど「ずるい」ことをしているようにも思えてしまいます。
結果、「いい人」は損をするし、「悪い人」は得をするような、理不尽な世の中だと思いたくもなります。
やっぱり、いい人は損をするのは、仕方ないのでしょうか?
(※「いい人」についてどう定義するかは様々な考えがあると思いますが、ここでは上記のようなものとして話を進めます)
いつでも「いい人」でいると損をする
もし、世界中のすべての人が「いい人」なら、お互いが他人を思いやって助け合いながら生きていけるでしょう。
でも実際は、そういう人ばかりでないことは明らかです。
他人の善意に漬け込む人。他人を貶めたり騙したりする人。他人から奪うことしか考えない人。そんな人たちは珍しい存在ではないし、私達は誰だって、時と場合によっては(不本意でも)自らそういう人になってしまうことだってあります。
そんな人達に対しても、自分が「いい人」を貫くならば、待っているのは自分が損をしてしまう道です。相手を思いやって行動することが正しいのは、相手が悪い人ではない場合に限ります。
自己犠牲をする人は損をする
日本では「献身的」であることがよいとされる傾向にあります。所属する組織や誰かのために力を尽くす事自体はいいのですが、それが度を超えて自分の身を削るような行為であっても、それ自体を認められることが多いです。
これも「いい人」の典型例ですが、その自己犠牲が自分にもたらすものは何でしょうか?人は社会の中で協力し合うことが不可欠ですが、そのバランスを著しく欠くことをすると、協力関係を続けることができなくなります。「自分はこんなに頑張っているのに」と思ってしまったら危険です。割にあわないと思うことを続けることは大きなストレスです。「いい人」でいるという規範意識で自らを縛り続けても、不公平感を感じてしまったらそれを保ち続けることは困難になります。自分のかける様々な労力(コスト)と、それによって得られるもの(金銭だけではなく、精神的なものでも)とのバランスがとれているかどうかを、「いい人」というレッテルで自分の心に蓋をせず、常に考えていくことが大切です。
まとめ
この社会では、真面目な人ほど傷つきやすく、いい人ほど損をしやすいという、理不尽なことがよく起こります。
私達が幼少から教え込まれてきたことは、それが成り立つ前提条件とセットで認識しておかなければいけません。
人のために行動できる、きちんとした「いい人」になるためには、「いい人」でい続けられる自分を守るための考え方も必要です。何でもかんでも相手に与えてしまうような「いい人」は、最終的には「いい人」で居続けることは難しいでしょう。
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