すべてが市場化しつつある世の中

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ルールに則る限り、すべてのワガママは尊重される

インターネットの普及によって、世の中にもたらされた大きな変化は、「マッチングのコスト最小化」です。

人は物々交換で直接取引をしていた時代から、やがて貨幣経済がうまれ、為替取引がうまれ、金融市場がうまれ、それぞれが生み出す価値を流動化することにより生産効率を上げ、生活を豊かに発展させてきました。しかしそれには必ず「マッチング」が必要になります。お米がほしいひとと魚が欲しい人とのマッチング、アメリカで使えるお金が欲しい人とイギリスで使えるお金が欲しい人とのマッチング。仕事をしてお金が欲しい人と自分の代わりに働いてくれる人を探す雇用者とのマッチング。さらに結婚したい男女のマッチングさえも、大きく経済活動の一つと捉えることもできます。

このように、ネットやスマホアプリが出る前から、マッチングという行為自体は極めて重要なものでした。それを行うために、実際の市場(マーケット)に人々が集まって取引相手を探します。結婚相手を見つけるのだって、ネットがないときにマッチングをするのは大変なので、リアルな生活環境でよく知った人同士とか、周囲の人間のコネとかお見合いとかでするのが合理的な選択肢でした。

インターネットが変えたのは、このマッチングの手段です。わざわざ物理的に市場に移動しなくても、ネットという仮想空間上へは誰でも一瞬にして集うこうとができます。時間もお金も(つまりコストが)ほとんどかかりません。このマーケットでは需要と供給のマッチングがすごいスピードで決まっていきます。ネットショップにしろ、株や為替取引にしろ、圧倒的に効率よくマッチングが行われる結果、人々の取引はより効率的になります。

さらに注目したいのが、これは経済的な取引だけでなく、人間関係にまでその影響が及んでいる点です。SNSが爆発的に普及しているのは、人間のつながりを求める欲求を、ネットという空間上で瞬時に結びつけることができるからです。さらに恋愛や結婚でさえ、マッチングアプリの普及によって取引が流動的になり、ある意味効率化しているとも言えます。

ここで残酷な面も見えてきます。人間同士のつながりさえも、「ステータスの取引」という枠組みで進んでしまうことです。男性と結婚したいと思う女性がいたとして、相手に要求する条件が「ステータス」になるわけですが、そこは需要と供給のバランスにより、逆に取引相手の男性側が要求する「ステータス」とディールする場合しか、マッチングが成立しないことになります。極端に相手男性の「収入」を重視する女性もいれば、極端に相手女性の「容姿」を重視する男性だっています。それは、いくら感情面で批判されることがあっても、一定のルールのもとで自由に取引ができる以上、最大限尊重されるべき人の意志になります。

例えば、「お米は新潟県産の最高級コシヒカリしか食わん!」という人がいたとします。当然、他の標準的なお米よりも高いわけですが、そのこだわりを貫きたいなら高いお金を払って最高級コシヒカリを買えばいいわけです。お米にそこまでお金を使いたくないなら、標準的なお米で我慢すればいい。ジユに取引ができることが前提である異常、そんなのはその人の自由だし、「お前は贅沢だ!」なんて非難される筋合いもありません。これと全く同じことが、人間関係の構築でも起きています。人間はモノではないので、そういった味方に不快感を覚える人も多いはずです。しかし、インターネットが加速させたマッチングコストの最小化は、私達の感情的には不都合な「効率化」を進めていってしまっています。テクノロジーを逆行させることはほぼ不可能だと思うので、これからの時代を生きるには、私達の価値観の方をアジャストさせていくしかなさそうです。

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