空気を読みまくる人間関係の害

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自分の頭の中の他人像に縛り付けられる

学校や会社、そして今の時代ではSNSで「なんとなく息苦しい」と感じることはないでしょうか?

思ったようなことが言えない、他人の目線を気にしすぎてしまう、嫌われるのが怖い。こういったネガティブな感情は、集団の中に属していれば、きっと多くのひとが感じてしまうことでしょう。

そもそも人それぞれ好みや考え方が違うのに、強制的に狭い空間に閉じ込めて集団生活を送らせるのが、日本の学校教育です。それは日本の社会生活でも同じようなことを求められることに起因します。そこでは足並みを乱すものが悪で、先生を困らせ、同級生に馴染めない子は抑え込まれます。それはとっても苦痛なので、同調圧力にはなるべく屈して、自分を殺して、周りの空気を読みまくって集団の中での評価を上げることが、私達の子供時代において合理的な意思決定であり、多くの日はそうした洗脳教育をされてきてしまっています。

そうして私達に根付いた「空気を読みまくる」習性は、おとなになってもなかなか直りません。上司より先に退勤したら気まずい「空気」。SNSでいいねを押したらそれを返してもらうのが当然という「空気」。確かに空気は人間関係を円滑にする能力ではあるものの、度が過ぎればそれは自分で自分を縛り上げるものにもなってしまいます。

空気に支配されないためには、まず自分がどう考えるのか、常に主体性をもつ必要があります。その上で、相手のことも配慮しますが、ここで過度な「読み」や「察し」をするべきではありません。相手が何を考えてどう思っているかなんて、究極的にはその人自身にしかわかるわけもないので、「態度」とか「言葉」でフカヨミしても不毛です。

そしてもう一つ大事なのが、「空気を読め」とか「察しろ」とか思ってもいけない、ということです。前述の通り、根本的に相手には自分のことなんてわかるはずもありません。伝えたいことがあるなら、相手に伝わるように言葉を尽くして伝えるべきであり、態度とかで相手に気を使わせるような姿勢は非常に傲慢で、甘えで、自立した大人として恥ずべき行為です。自分がそのような人間にはなっていけないし、そういった未熟な人間(大人)は相手にするべきではないでしょう。

集団で生きていく中で、ある程度の協調性は大事ですが、自分の感じる窮屈さまでそれに差し出す必要はないはずです。人間関係で似たような悩みをお持ちであれば、参考にしていただければ幸いです。

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