自分だけで考えても出てこない
私達は『自分の意見を持つこと』が大事だとよく言われますが、そもそも『自分の意見』とはなんなのでしょうか?どうやったらそれを生み出して作れるのでしょうか?
こういった、なんとなくわかるけどうまく説明できないような事柄は、反対のことをイメージしてみると、その意味を捉えやすいことがあります。
つまり、自分の意見を持っていない状態、というのを考えればいいんです。それは例えば、「テレビでこう言ってたからこれが正しい」とか、「誰々がこういってたから」とか、「なんとなくそう思ってた」とか「それが常識でしょ」とか、そういう考えに基づいて持っている意見が、「自分の意見」ではないものと言えるでしょう。
では実際に自分の意見を持つにはどうしたらいいんでしょうか?こう考えると、「テレビ」も「他人」も「雰囲気」も「常識」もアテにせず、全て自分の中から意見を生み出す必要があるように感じてしまいます。しかしそれはあまり現実的ではありません。世の中にあふれる情報は膨大で、たかが一人の人間にさばききれる量には限度があります。
それを踏まえてなお、「自分の意見を持つ」ならば、それが意味するところは「自分の価値観に基づいて判断された意見」とも言えるのではないでしょうか。つまり、ある事柄に対して世の中には様々な意見があって、それらを一度知った上で「自分の価値観でどれを採用するか判断する」プロセスを経て、ようやく「自分の意見」が出来上がります。
例えば、「若い頃の苦労は買ってでもすべき」という話があります。若い頃に苦労を重ねた分、その経験が生きて将来の役に立つ、という話です。一方で、「苦労しないでうまくいくならそれが一番だ」という意見も当然あります。多くの先人達がトライアンドエラーで積み重ねたものをうまく活用すれば、若い人でもそれほど苦労をせずに自分の望む未来へすすめるだろう、という考えです。これらに唯一無二の正解なんてなく、結果論でどうとでもなります。若くして苦労して成功した人は自分のその苦労を否定したくないだろうし、若くて苦労せずに成功した人なら、苦労なんて不要だと言うでしょう。そこで、自分ならどう考えるか、という判断を自分でします。「人間は弱い生き物だ。ラクしていけばダメになる」という考えを持つのも自由だし、「賢く自制心を持っていれば、苦労することを避けてうまくやっていくことは可能だ」という考えを持つのも自由です。
このように、それぞれの価値観で様々な意見を一旦取り込み、判断することで、ようやく「自分の意見」が出来上がります。
すなわち、こうして自分の意見を持つために必要なことは、次の2つと言えるでしょう。一つは、「様々な視点からの意見の大量なインプット」。もう一つは、「自分の価値観をもとにした決断力」です。インプットを多くするには、テレビなどの一つのメディアに偏ることなく、いろいろな人の話をきいたり、本を読んだりするのがいいでしょう。決断力を持つには、自分の内面を掘り下げて、自分の価値観をよく把握しておくことが大事です。
「自分の意見」を持たないと、自分の人生は他の人に振り回されて終わってしまいます。これは物事をよく考える人ほど難しいかもしれませんが、とても大切なことだと思うので、参考にしていただければ幸いです。
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