人生を転げ回ってきてわかったこと
私はギタリストおよびサウンドクリエイターとして活動していますが、10年前の私を知っている人からみたら、驚かれるかもしれません(当時は今より20kg肉がついたラガーマンでした)。振り返れば、幼少の頃はゲームやプラモが好きなインドア少年だったのが、突如小5からラグビーをはじめて運動会の徒競走で一番になったり、ラグビー一筋で大学まで進んだかと思えば突然金髪になってバンドを始めたり、周りが就職する中で自らメイドカフェの調理のアルバイトをやって副店長になったり、数年したらベンチャー企業に就職してオフィスワークをやったり、突如弾き語りアコースティックユニットでライブや同人活動をやったり、脱サラしたり・・・と、数年単位でコロコロと転げ回って生きてきています。
いまは一番自分がやりたいと思うところに辿り着けていますが、決してこれがゴールではなく、この先まだまだ転げ回っていくような気がして、5年後10年後にはどうなっているかわかりません。ただ、もっと音楽をやりたいという気持ちだけは変わらないような気がしています。
話の本題として、人が変わることや変わらないことというのは、正直どっちが正しいということはないと思います。ただし、変わりたいのに変われない、というのは困ったことです。「もっとこれがしたい」「こういう自分になりたい」と思ってもなかなかうまくいかないのが普通です。こういった人に共通する特徴として、「言い訳をする」ことが多いなと感じています。
そもそも私達は一人でどうにかできることは限られています。社会の中で生きていく以上、周りの人や環境の力は絶大ですし、何より自分の中にも自分は複数人いて、頑張りたいと思う自分とメンドクサイと思ってしまう自分もいます。そんな状態で、脳みその中のほんのわずかな自分の”意思”を司る部分が及ぼせる影響なんてたかが知れています。だから、「周りが〜」とか「やる気が〜」とか「天気が〜」とか、なんだかんだ言い訳をしてできない自分を正当化してしまうのは、自然なこととも言えるでしょう。
だからこそ、それをやると、その人は同じ場所に居続けます。周りの環境が変わらない限り、自分を変えることもできないので、それを待つしかありません。これが、いつまでも同じところにいる人の特徴だと考えています。
繰り返しになりますが、変わることがいいことだとか変わらないのが悪いとか言うつもりもありません。ただ私は、周りの環境によって定められた自分の立ち位置が嫌で、違和感を覚えて、自分の行きたい場所に行こうと思ったときに、「言い訳」が出てくることに気付きました。なので、「できない言い訳を探すより、できる方法を考える」という思考法にセットし直すことを決意しました。その結果、少なくとも、5年前10年前の私を知る人からは、「変化」があったように見られていると思います。
自分を変えて、どこか新しい場所へ行きたいと思っている方の参考になれば幸いです。
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