評価されやすい人とされにくい人

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電車で席を譲るか、そもそも座らないか

あの人はいい人だとか悪い人だとか、よくできるとかあまり使えないとか、親切だとか不親切だとか、何かに付けて私達は人を評価するし、評価されたりもします。自分のいい部分は人に評価されたほうがいいし、他人のいい部分を見つけて評価できることもまた大切なことえす。

しかし、世の中には評価されやすい人と評価されにくい人がいます。もっと正確には、評価されやすい行動とされにくい行動がある、ということになります。

最もわかりやすい例が、電車で席を譲る行為でしょう。自分が電車で席に座っているとき、お年寄りや体の不自由な人が席を探していたとして、自分が立ち上がって席を譲る行為はとてもよい行いです。第三者から見ても、親切な人として見られ、評価されると思います。一方で、電車で席が空いているにもかかわらず、立ったままで乗っている人はどうでしょうか?その人はただ単に立っている方が好きな場合もあるし、または、予めお年寄りの方などのために、自分は座らず席を空けるようにしているかもしれません。どちらの行為も、自分を律して他人に配慮する行動で、どっちがいい悪いもないはずです。しかし実際は、第三者からみれば、最初は座ってて席を譲るのは親切な人、最初から立っているのはただ立っているだけの人、と評価されてしまうでしょう。

このように、なにかことが起こってから対処する場合と、予め起こることを想定して事前に行動する人では、どうしても前者の方が他人からの評価を受けやすくなります。チームで動く仕事でお客さんに迷惑をかけたとして、そのとき率先してトラブル対応をしたり謝罪したりと動く人は目立ちますが、そもそもそういったお客さんに迷惑がかかるような事態を未然に防ぐ心配りをしている人は、なかなか評価されづらいものです。

このことから言えるのは、「評価されること」が目的ならば、なるべく目立つ行動を取ることが大事と言えます。一方で、「誰かを評価すること」が目的ならば、目立つ行動だけでなく小さな気配りや行動にまで注意を注ぐことが大事でしょう。もちろん、「目立つかどうかに関係なく、本当に適切な行動」をとれる人と、「目立つことも細かいことも、全て含めて適切な行動を取る人を評価する」ことができる人であることが理想です。そういった人々が集まる場所や組織は、生産性が高く居心地のいい集まりとなるでしょう。

NURO光

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