他人との境界線をはっきり分ける

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自分と違う他者を受け入れられないと困ること

仕事を頑張りたいけど一生遊んで暮らしたい。ダイエットしたいけど好きなだけ食べたい。私達は常に矛盾とぶつかります。世の中は矛盾だらけです。ときにはそれに苦しみ抗いますが、本当に矛盾がないということはオモテウラもない世界、つまり全てが混ざりあった何もない世界と等しいことになります。

私達は一人ひとり、個性があります。容姿も得意不得意も違うし、考え方や感じ方も様々です。ですが、そんなバラバラな私達はお互いに協力することで社会を成り立たせています。これは実に高度で難しいことですが、歴史上様々な紆余曲折を経ていまの状況に至っていると考えるのが自然です。

矛盾した世の中を生きることがテーマというのは、日常の至るところで現れます。家族内でも秩序を守るために、水回りやゴミなどの使用のルールがあります。学校や職場でもその集団が成り立つためのルールが存在します。自治体や国もそうです。それらは個々人の矛盾する考えを、強制的に一つにまとめあげることで成立させています。なので、納得したり満足したりする人もいれば、不平不満を持つ人がいるのも当然です。

こうして、社会生活を成り立たせるために、一定の考えや規則に則って生活や行動をするのは合理性があります。一方でそれに慣れすぎていると、「自分と世間はこう考えてこう動くのが当然」という考え方に陥ってしまいます。これは、本来全く異なる存在である自分と他者との区別をなくしてしまい、結果的に自分が苦しくなってしまいます。

例えば、水商売を肯定的に捉える人と否定的に捉える人がいたとします。水商売はよくないものだと否定的に捉える人にとって、そう考えている人たちの集団は居心地がいいものですが、水商売に肯定的な人は自分(と、自分と同じと考える世の中)の考えと違うため、なかなか受け入れづらくなります。本来、法律という国のルールのもとでやっていれば何をしようが自由のはずですが、他人と自分は基本的に考え方が違って当然、という認識がないと、自分と違う相手の存在が自分の否定のような感じがして、居心地が悪く苦しい思いをすることになるでしょう。

昨今、社会では分断が起こっているとよく言われます。いろいろな問題が複雑に絡み合っているものの、大きな要因としては、ネットや付随するSNSなどの発達によって個人がより自分の主張ができるようになったからであり、そもそも人はそれぞれ別々の価値観を持っていることが顕在化したからではないでしょうか。いいことや悪いこと、正しいことや間違っていることを判別するのは簡単なことではありません。だからこそ、自分と他人との境界線をしっかり意識してそれを受け入れることが、私達一人ひとりにとってこの先とても重要な考え方の基準になると考えています。

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