夢や目標という『贅沢』

My Voice

人は存在するだけですでに十分である

私達ひとりひとり、それぞれが大きな可能性を持っていて、夢や目標を持って成長を続け、自己実現をするということの意義について、異を唱える人は少ないでしょう。

なぜなら私達は、そのような考え方に洗脳されてきたからです。

なぜこれが洗脳だと言えるのか?それは、こんな考え方はあまねく人類全てに普遍的なものではなくて、成熟した社会で生きていくことに余裕が生まれた今の時代に生きる私達が持つ珍しいイデオロギーだからです。

つい数百年前まで、世界では王族や貴族などの一部の特権階級を除いたほとんどの人々は、自分の生活を成り立たせることが人生の全てでした。農耕をしたり牧畜をしたり、職人として生きたりと、自分の人生を自分で好きなように選べる贅沢など、ほとんどの人にとってそれはありえません。

日本でも、戦後の経済成長で急激に豊かになったことから、大抵の人は最低限働いて生きていくことが多くの人にとって可能であり、社会保障もあり、余暇を楽しむ時間と金銭的な余裕を持つ人が増えました。生きるために必死になるという意義が薄れたら、人はなにか無理矢理にでも目標を作らなければいけません。そうして人間の生きる美しい道として、学校やメディアなどで夢や目標を叶えるというイデオロギーが流布され、それが多くの人の共通認識となっていきました。

もちろん、今の豊かな世界はこれまでの多くの人の努力によってできているものです。ですが、それはごく一部の人たちであり、夢や目標を持ってもすべての人がそれを叶えることができるわけではありません。世間は、子供に「夢を持て」といい、夢が叶わないことを知った大人には「現実を見ろ」といいます。それは多くの人がそうだし、自分もそうだから、という主張がもとになるのでしょう。でも、よく考えたら勝手な話ではありませんか?子供のときは希望をもって、大人になったらその希望が原因で落胆することになるというマッチポンプの連鎖を延々と続けているわけです。

私は夢や目標を持つことを否定はしません。ですがそれは人に強制すべきものではないと思います。別に夢や目標を持っていなくても、頑張らなくても、周りの人と仲良く楽しそうに生きていければ人間として十分すぎるほどの幸せなはずです。私は家族含め親しい人全てに、大きな期待をしないことにしています。自分が大切だと思う人は、存在してくれているだけでありがたいからです。夢や目標なんて持っていなくてもいいし、叶っても叶わなくてもいいと思ってます。なぜならそれはとっても『贅沢』なことで、そんなことがなくても、誰だって嬉しい気持ちを持てるし、幸せを感じることができるからです。

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