信用と期待のバランス

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信用と期待をごっちゃにすると勝手に人間不信になる

「信用」とは、確かなものとして信じて受け入れたり、信頼できると判断することを指します。

一方、「期待」とは、あることが実現すると望みをかけて待っていることを指します。

私たちは、人と関わる時、基本的には「信用」を持って相手と接します。最低限、自分を傷つける恐れのない相手だとか、約束は守ってくれる人だとか、そうした信頼関係がなければまともに他人と話したりすることはできないでしょう。

ところが、もう少し踏み込んだ状態で、「相手に期待する」こともよくあります。頑張ったら褒めてくれるだろうとか、辛い時は慰めてくれるだろうとか、こういう時にこう働いてくれるだろうとか、約束しているわけではないものの、相手が自分にとって都合のいい言動をしてくれることを勝手に想定します。これも知らず知らずのうちに、私たちはよくやってしまうことです。

何より気をつけないといけないのは、この「信用」と「期待」のバランス持ち方です。両者のバランスを崩したり、過度な「信用」や「期待」をすると、人間関係を壊す原因になります。

例えば、文化祭とかの学校行事は誰しも経験があると思いますが、ああいうのは大抵「仕切ったり積極的に参加する人」と「なんとなく参加する人」の2タイプに分かれます。積極的なタイプの人たちは、クラスが一丸となって良い出し物をしたいと考えます。そのためには、なんとなく〜な人たちも含めた全員の協力が不可欠です。一方のなんとなくな人たちは、一応はクラスの仲間外れになりたくはないので参加はしますが、そこまで一生懸命やるのは割りに合わないと感じます。ここで、積極的なタイプの人がクラス全員に頑張ってくれるのを「期待」すると、関係が悪くなるのは明白です。「なんでちゃんとやらないの!?」「えぇ〜だって面倒くさいし・・・」というやつです。全てのクラスメイトが出し物の成功のために力を尽くすと「約束」しているならば話は違いますが、学校でやることにそんなこと約束なんてさせられないはずです。積極グループの人は、人の自由意志を尊重するということをそこで学ぶことになります(私も学んだ側です)。

「信用」は裏切る方が悪いですが、「期待」は裏切られる方が悪いです。約束を破ったり、相手を傷つけたりすることは信用を裏切る行為で、人間関係としてやるべきではありません。一方で「期待」は、相手が勝手にするものであり、それに必ずしも応える必要はありません。「期待」を裏切られた方はガッカリすると思いますが、そもそも期待をしたのはその人自身であって、期待された側は関係ありません。「人に期待しすぎない」ことというのは、人間関係を円滑にし、自分の心を守ためにもとても重要なことと言えるでしょう。

私たちは孤独な生き物です。誰も、本当の自分の内面を他人と共有することはできません。それでも他の多くの人と関係性を築きながら生きていく必要があります。「約束は守し、できない約束はしない。」「相手の期待には無理に応えないし、相手に過剰な期待はしない。」こうして、自分も相手も苦しくならない距離を保つことが、人間関係で苦しまない方法の一つです。

今回に共通する話で「課題の分離」と言われる考え方があります。ぜひこちらの本もご覧ください。

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