人生は運ゲー?
日本では現在、賭博(ギャンブル)についてはグレーな部分が多いようで、パチンコのように表向きには遊戯としているようなものもあれば、宝くじとか競馬とかは大っぴらにギャンブルをしています。人の生死にお金をかけているという意味合いで言えば、生命保険もギャンブルの一種と言えるでしょう。
ギャンブル依存症が度々問題になったりもしますが、私たち人間は根本的にそういった性質ものが好きで熱中してしまうようなもの、らしいです。ちなみに私は過去にクレーンゲームにどハマりしていましたが、あれもアイテムをとるのに数百円で済むか、数千円かけてしまうかギャンブル的な要素もあります。
こういった、商売的な賭け事だけでなく、私たちの人生のうちかなりの部分は運によって左右されます。大きな視点で見れば、どの時代のどの場所のどの家庭で生まれてくるかも運ゲーです(卵巣の宝くじ)。どのような特性を持って生まれてくるかも運ですし、所属するコミュニティは多少選べても、学校や会社の中にどんな人間がいるかは、これもまた運です。
ただ、そんな私たちに介入できることが全くないわけでもありません。どんなところで働くかとか、どんな遊びをしてどんなコミュニティに参加するかとか、どんな出会いの場を探して誰をパートナーにするかとか、ある程度は自分の意思決定で決められます。これは、自分が降るサイコロを自分で選べるようなものです。どのガチャを回すか、と言い換えてもいいかもしれません。例えば、入った会社の人たち、参加したコミュニティの人たち、選んだパートナーが自分にとっていい出会いであるかどうか、それは自分が振ったサイコロでどの目が出るか、ということになります。
このように日々の意思決定では、不確定な未来に対して、自分が望む結果に期待を持って何かを選ぶことになります。それが成功するか、失敗するかどうかは蓋を開けてみなければわかりません。そしてその意思決定には、自分の時間を費やすのか、お金を投入するのか、何かしらの損失を伴います。結果が期待を上回らなければ、その損失を被ったままになるというリスクが常に付き纏います。
日々の買い物から大きな人生の決断まで、結果が正確に予測できないものは、総じてギャンブルです。私たちにできるのは、自分が取れるリスクの大きさを認識し、期待値が高いサイコロを選んで振ることしかありません。その結果は所詮運でしかない、と言えます。さてここで、自分のこれまでを振り返ってみましょう。運はよかったでしょうか?悪かったでしょうか?それと、振ったサイコロは、本当にいいサイコロだったでしょうか?
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