『挑戦する者が笑われる世界』は間違っている?

My Voice

出る杭は打たれる

「作曲家になりたい」

工学系の大学院に進学して半年ほど経った頃、私はそう言って2年の休学を挟み、大学院を中退しました。

周りの同期の学生たちや先輩、後輩は、研究職だったり、官公庁や一般企業への就職をするのが普通でした。当然、私のような言動は浮きます。ほとんどの人はいい顔をしません。意外と、猛烈に反対する人は稀で、だいたいは『まぁやってみたら?』くらいの反応でした。

これは別に、普通のことだと思います。自分が逆の立場で、一般的な学問を修める道にいる仲間が突然「お笑い芸人になりたい!」とか言い出したら、多分似たような反応をするでしょう。「そうか頑張れ!心から応援するよ!」なんてとても本心では言えないでしょう。こんな風に、『夢を追う人』に世間が優しくないのは常だし、出る杭は打たれるもので、そんな世の中がそう簡単に変わるものではないと思います。

でも、それでいいんじゃないでしょうか?

私の大好きなスタジオジブリ作品「耳をすませば」では、進学について悩む中学生の主人公月島雫が、家族会議で父親から、自分の小説家を目指すという夢に「人と違う人生はそれなりに大変だ」と諭されるシーンがあります。本当にそうだと思います。私たちはほとんどが、自分の人生を自分で決める自由を持っていますが、その反面どんなことがあっても誰もその結果に責任をとってくれる訳ではありません。人と同じような道を進むことは、失敗する可能性を下げるという意味ではとても理にかなった選択です。自分の好きなように、夢を追ってやりたいことを目指すのはとてもリスクが大きいことです。誰も正解を知らないから難易度も高い。だからそう易々と、夢を追って普通の道を外れることは奨励されるものではないと思います。

ただ確実に、世の中にはその道を進む人が一定数いて、うまく行く人、失敗する人がいます。そのどちらかになるかは、誰にもわかりません。私が思うに、そんな強い風当たりの中でも自分の道を進むくらいの覚悟と気持ちがない限り、夢を追って成功するのは難しいのではないでしょうか?

影響力のある情報発信者の言葉はネットの社会を駆け巡ります。「信じて自分が正しいと思う道を進めばいい。邪魔をしてくる周りが間違っている」という主張も、それはそれでアリでしょう。一方で「夢なんて笑われるのが普通、それくらいがちょうどいい。みんなが好き勝手やってしまったらこの社会は成り立たない」というリアルな主張もあります。私はどちらかというと後者寄りの考えです。綺麗事だけでは世の中できていなくて、最終的には結果が求められます。心地よい自分の夢や理想に浸っていい気分になることなら、誰だってできます。夢を見たら笑われるし、出る杭は打たれるけれど、それでも自分の道が譲れないのなら、答えは簡単です。笑われながら、打たれながら、進めばいいだけです。

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