人生ハードモードを選んでしまう罠

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しんどい人生は自分で選んでしまっている?

頑張っても頑張っても、人生がなかなか思ったようにいかない、というのは多くの人が大人になって経験し、理解していくことです。もっとハイスペックに生まれていれば?もっと幸運に恵まれれば?人生はイージーモードだったのでしょうか。しんどいのは、もう諦めるしかないのでしょうか。

これはほとんどの場合、「自らがハードモードを選んでいる」と言えます。なぜなら、私たちが前提として考えていることが原因だからです。

「努力すれば、結果がついてくる」

「他人と比較して、より良い結果を得るべきだ」

「頑張らないのは、悪いことだ」

どうでしょうか。私たちのだいたいは、学校教育とかを経てこういう価値観が植え付けられています。そうすると、他人と比較し、より良い結果が得られるよう、頑張り続けて、それができないのは自分のせい、という思考で毎日を過ごす必要があります。

でもこの前提はそもそも「考え方の一つ」でしかなく、絶対的に正しいものではありません。こういう考えで、頑張って頑張って、うまく成功できる人もいるでしょう。しかし、頑張りと結果がむずびつかないことなんて珍しくありません。そもそもなぜ他人と比較する必要があるのでしょうか?学校ではテストの点数や成績で私たちは常に格付けをされてきました。たった一つ、勉強ができるかどうかで人の順番を並べられてきたんです。でも人の魅力には際限のない価値基準があります。何か単一の尺度だけで比較するのは意味のないことです。また、やりたくないことをやることは「悪いこと」だとされました。やりたくないことを避けて何が悪いのでしょうか?自由に生きる権利がある代わりに、基本的には自分の行いは全て自己責任です。だったらやりたいことをやって、やりたくないことはやらなくてもいいはずです。さらに、何かに頑張って望みを叶えることを絶対的に正しいことのように言われてきました。ですが、世の中は自分以外の多くの人や動物、モノ、自然に囲まれていて、自分が影響を及ぼせる対象など本当にたかが知れています。頑張っても無駄なことばかりだと言ってもいいでしょう。そこをシビアに見ていかないと、到底できないことのために自分の人生を削っていく選択をとってしまいかねません。

自分自身の選択をどうするかは、自由に決めていいことです。他人と比較するか、自分の満足を基準にするかもまた、自由に決められます。もし今、生きづらさのようなものを感じているなら、「努力至上主義」で洗脳教育されてきた私たちは、「ハードモードで人生を頑張る」のを選ぶのは自由ですが、強制的に選ばされていないか、一度客観的に考えてみるべきでしょう。

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