満点と及第点

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無駄な完璧主義を徹底してメンタルがお釈迦ポン

私が今まで生きてきた中で、最も衝撃を受けた教えの一つに、「7割りの完成度を目指しなさい」ということがあります。飲食店の厨房でアルバイトをしていた時の話です。自分から常に、調理から盛り付けまで完璧を目指して提供しようと心がけていましたし、後に入ってくる後輩アルバイトにも自分の完璧を押し付けていました。それをみた優しいオーナーさんが諭すように言ってくれたのをよく覚えています。

そもそも、完璧や満点の基準はなんでしょうか?学校の筆記試験のようなものはとてもわかりやすいですが、世の中全部筆記試験のような仕組みでできているわけではありません。料理の盛り付けの点数なんて、採点する人によってまちまちです。競技スポーツは点数の多い方が勝者というように決めていますが、例えば野球で百点満点なんて概念はないです。(個人的にフィギュアスケートのような採点競技がイマイチしっくりこないのはこの部分です。審査員次第では?と思うからです)結局、完璧とか満点とかは誰かが考えた主観的な評価にすぎず、絶対的なものではありません。

とはいえ、私たちは仕事においても、勉強においても、プライベートにおいても、良い結果が欲しいと常に思っています。仕事で成果が出れば褒められるし報酬も増えます。勉強がよくできればいい学校に行けます。友達関係や恋愛がうまくいけば充実した気分になれます。自分で思った完璧や、人が勝手に定義した完璧に向かって、それを追い求めようとします。

ここで一旦冷静になって考えてみると、人はそもそもムラのある生き物です。体調がいい時悪い時、感情が落ち着いている時と不安定な時、そんなのはあって当たり前です。そんな人間として生きている以上、完璧を出し続けるのは不可能に近いはずです。さらにその完璧も、自分で勝手に作った枠であったり、他人が勝手に決めた物差しなため、それが絶対的に正しいと思い込むことも危険です。自分ができないことを自分に求めてしまえば、当然メンタルがお釈迦ポンになります。

このように、完璧を目指すというのは所詮自己満足の世界でしかありません。なので、私たちは常に及第点を目指すべきだと言えます(それが冒頭の7割の話です)。仕事も勉強もプライベートも、何か目的があります。それに十分なものを自分で考え、及第点を設定します。それ以上のものが完璧の領域になってきて「まぁ、そこまでできたらベリーグッドだよね」くらいに思っておけば、だいたいは気が楽になります。

私たちはメンタルという燃料で走る車のようなものに乗って人生を生きています。メンタルがやられると車が走りません。現代は、いろんな人がいろんなことを言って、価値の尺度が世の中に溢れ、何が正しいのかよくわからない時代です。そんな時に、自分で自己満足のために設定した完璧を目指し、自分でメンタルを枯らしてしまわないよう、注意しておかなくてはいけません。

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