論点が違うと感じること

My Voice

話が噛み合っていない

ネット上では日々いろんな情報が飛び交い、様々な人の意見で溢れています。そんな中で、論点がずれて話が噛み合っていないと思うことがあったので二つの事例について書きます。まず、プログラミングスクールを運営する株式会社divの「まこなり社長」が、自身のYouTubeで自社の新サービスを発表し、そのことが発端で炎上してる件。YouTubeのコメント欄やTwitterのリプライなど色々なところがありますが、まこなり社長および株式会社div側が指摘しているのが、事実無根の誹謗中傷の動画、とのことでした。どの動画がそれに当たるか明言されてはいなかったものの、再生数が多い動画の数々をみていると、それらは概してdiv社の決算広告を元にした意見であったり、プログラミングスクールの評判などを元にした推測などが主なものです。まこなり社長は動画やSNSで法的措置をとると明言し、それはネット上での誹謗中傷に対して毅然とした態度をとり、それを許さない世の中にしていくための社会的意義を目的としていると明言しています。Twitterにぶら下がっているコメントは、それに賛同したり、出る杭を打つ風習はなくせ!的な意見も目にします。ここが論点が違っていると思う部分であり、炎上したり批判している根拠はdiv社の経営状況が赤字を出しながらも「問題ない」としているところの説明が不十分であることや、プログラミングスクールの評判や講師についての情報が足りていないところからくるものです。若手の社長が事業を大きくして成功してることへのやっかみと捉えることもできなくはないですが、そんな動機は発言者以外には誰も知り得ないことであり、議論すべきは批判の対象となっていることについてです。現時点では、批判の動画を上げている人たちの指摘は多くが建設的で、問題点を指摘しより良いサービスを提供する企業であることを到達点としているように思えます(社長およびdiv社を貶めようとする意図は目立ちません)。まこなり社長はそのあたりに明確な事実の開示をして納得いく回答をして欲しいと思うし、SNS上で擁護している方々も実際に批判している内容を踏まえた上での意見を言わないと、争点となるべき部分についてではなく、「まこなり社長やdivがいいやつor悪者」みたいな単純な話で終わってしまいます。もう一つ噛み合っていないと思うのが、西野亮廣さんがプロデュースする昨年末公開の映画「えんとつ街のプペル 」の評判です。これも様々な媒体で色々な意見が出ていますが、今回は映画レビューサイトに絞って話します。(ちなみに私は西野さんの活動全般に敬意を表するし、オンラインサロンで取り組まれている被災地支援やコロナ禍での就業支援などの活動は本当に素晴らしいと思っています。過去の作品の「チックタック約束の時計台」は本当に素晴らしい作品だと思いました。現在はオンラインサロンには加入していません)西野さんの活動にはとても注目していて、これまでの数年の活動の集大成としての渾身の企画がこの映画だということで、とても気になっていますが、諸事情によりまだ観ていませんので、詳しい内容は知りません。レビューサイトの投稿を見ると、大絶賛するコメントの多くと、少数の平凡なコメント、そしてまた多くの批判的なコメントがあります。こういった作品はお金をとって提供する以上、批判にさらされるのは当たり前で、クリエイターはそれを覚悟して作品を「置いて」いきます。リリースしたら自分のものではなく、その評価は、お金と時間をかけてそれを鑑賞するお客様に委ねられます。批判的なコメントを見ると、内容に触れるものとして、こことここは良かったけど、ここはよくなかった、的な具体的なものが多いように感じました。また中には、「宗教」という風に一方的に決めつけで否定するものもあります。一方、絶賛するコメントでは、感動したとか、泣いたとか、ここが良かったとか、そういったものも多くある一方、「夢を追いかけて挑戦する人をバカにするのは許せない!」という言葉と共に、低評価をつけるレビューを批判するものも散見されます。これは映画のレビューを逸脱していて、映画を置いてきぼりにして意見をいう人に対して意見をいう(?)みたいな構造になっています。これも論点がずれていて、例えば「ストーリー構成のここがよくなかった」という批判に対して「ストーリー構成はここがこう素晴らしい」というのならまだわかりますが、「夢を追いかける人を馬鹿にする」とか、そういうことを言っている批判レビューはない(はず)なのに、拡大解釈してそう言った擁護のコメントを入れているのを見ると、これも論点がずれていると感じます。今回の記事の二つの事例では、ネット上の意見なので、人同士が直接話し合っている訳ではありません。なのでそれぞれが何に対して意見しているのかを正確に知ることは難しいのですが、多くの意見を見る限り、「対象としている相手の発言(発信)内容を理解して反論する」ということができていないように見受けられます。意見を発信して相手を納得させたりするには、まずは相手の意見に耳を傾けて対象とする事柄を理解し、論点を合わせないと全くコミュニケーションとして成り立たないな、と感じました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました