底辺よ胸を張れ

メンタル

いろんな世界のヒエラルキー

私たちは人生経験を経て、世の中には様々な世界が存在することを知ります。

学校教育を受けている時点では、せいぜい勉強と、スポーツと、芸術分野くらいしか、自分たちのアイデンティティーを決める物差しがありません。テストの点数や偏差値とか、部活のレギュラーとか地方大会で何位だとか、コンクールで賞を取ったかどうかとか・・・それが世界の全てです。

そんなごく一部の基準しか無かったものが、社会に出ると途端に膨大になります。お笑い芸人の世界、ホットドッグ早食いの世界、鉄道好きの世界、コスプレの世界などなど・・・。一定数の人が興味を持つカテゴリーごとに、そこでの知名度や実力などが新しい物差しとして現れます。

結局、人同士での上下や優劣なんていうものは、特定のカテゴリーで決めた枠の中での話であって、そんなものを無視すれば全ての人はフラットです。

でも、ここでは、「底辺」の話をします。

言葉は好きではないですが・・・

タイトルで「底辺」という言葉を使いました。その界隈において、実力や実績がまだまだ無かったり、名前が無かったりする人たちのことを指す言葉です。

この言葉自体には、すごく侮蔑的なニュアンスがあるように感じますので、個人的には好きではなく、あまり使いたくありません。ですがわかりやすいよう、あえてこの表現を使いました。

本題ですが、「底辺」の人は、胸を張っていいんです。

なぜならば、底辺の人の存在全てが、その世界を構成する欠かせない要素の一つだからです。

優れた人以外は無価値?

例えば、日本のスポーツにおいては野球が盛んで世界的にも秀でた選手、秀でたチームが多いですが、その最たる要因は、野球人口が多いからです。小中学校でも圧倒的に競技人口が多く、高校、大学、社会人、プロと多くの人が野球をプレーします。各世代で、大会で優勝したり圧倒的な成績を残す選手はとても有名になりますが、それは競技人口の中のほんの一握りであり、大多数が名も無いプレイヤーです。この名も無いプレイヤーたちがいるから日本の野球は国内で最もポピュラーなスポーツの一つとして存在し続けるし、そこで切磋琢磨するからこそ稀有なチームやプレイヤーが誕生します。

当然、その中で上位を目指すことはとても困難です。しかし、その上位を目指して日々野球をすることはもちろん、実力が全然伴わない人が野球をすること自体、何も悪いことではないし、胸を張ってやったらいいんです。

なんでも間でも上手でなければいけないということはありません。技術が上がったり成長したりするのは喜ばしいことですが、比較して上を目指し続ければキリがありません。

仮に、あなたがスポーツをやっていたり、音楽をやっていたりしたとします。その世界にいる以上、今、そのステージいるだけであなたは十分に価値があり、胸を張ってそのスポーツや音楽をやるべきです。

自分の中で、より高いステージいる人と比較して落ち込む必要もないし、ましてやビギナーを見下したり貶したりすることは論外です。最初に述べたとおり、あくまで価値基準の一つでしかなく、そんな狭い視野で人や自分に評価をつける行為は愚かで、何の意味もないことを心得ておくべきです。

まとめ

私たちの社会には、様々なカテゴリーで様々な世界があります。

その中で、実力や知名度の差は必ず生じますが、それが人の優劣を決めるものになるはずがありません。

その時点で実力や知名度がなくても全く問題なく、むしろその世界を構成する一員となっていること自体に価値があります。

自分より上や下を比較し、評価し、自分や他人の心を傷つけることは全くの無意味です。

「底辺」の人は、胸を張りましょう。

【本日のオススメ本】

あやうく一生懸命生きるところだった

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