そもそも世界には境界線がない

哲学

誰が決めたこと?

私たちの周りには、言葉で説明できる様々なものがあります。

赤いリンゴという果物、冬という季節、日本人という人々、これらは誰もがその意味を共通で認識できるでしょう。

しかし、リンゴを果物と決めたのは誰でしょうか?

日本では12月くらいに特徴的な、気温が低めで乾燥している気候を、冬としたのは誰でしょうか?

日本国籍というのは誰が認めたんでしょうか?誰が日本人とかアメリカ人とかを決めたんでしょうか?

世の中はそもそも曖昧

私たちが生きている世界は、そもそも、めちゃくちゃ曖昧です。

リンゴだって、様々な形や色をしたものがあるし、季節は秋だか冬だか曖昧なときもあります。

日本人なんていうのも、世界の中で人を分類するカテゴリーの一つであり、容姿だけで日本人かどうかは決まりません(日本の家系で生まれ、外国籍の方だっています)。

これらは、私たちがお互いにコミュニケーションをする際に、便宜上もうけた区切りです。そしてそれは言語によって成り立っています。猫は、私たちが似たような特徴を持つ生き物を総称して猫と呼んでいるだけで、猫本人(?)たちは自分が猫という動物だとは認識していません(吾輩は猫である、と言う猫はいない)。

私たち人間は、そもそもが曖昧な世の中で、勝手に分類をし、言語でラベリングをして、区別をしています。

常識を疑う

もっと身近な例で考えると、世の中には様々なルールがあります。

日本では拳銃を持つことは一般的に許されませんが、海外ではそれが許される場所もあります。国という組織が決めたルールだからです。

日本では重婚ができません。既婚者が他の異性と関係を持つのは持ってのほか、それが有名人ならバッシングの嵐です(他人の身内話で多くの人が盛り上がります)。ですが海外には一夫多妻制の国もあります。これも、それぞれルールが違うからです。

私たちは本来、めちゃくちゃ自由に行動できます。それでも決まった時間に働いてお金を稼いだりするのは、「そうするものだ」という暗黙の了解があるからです。ですがここまで読んでいただいた方ならわかる通り、それは「誰かが決めた」または「多くの人の考えがそうだった」だけに過ぎません。常識だからという理由でその先を考えないと、私たちは本来、自由にできるはずのことが不自由になってしまうこともあります。

まとめ

このように、私たちは、実際はすごーく曖昧な世界の中で、それを言葉によって区切り、定義し、認識しています。

何か困ったり、悩んでどうしようもなくなったとき、「枠を取っ払う」考えを持つと、そこから思わぬ進展があるかもしれません。

【本日のオススメ本】

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫)

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