超弩級学園ラブコメが教えてくれるもの
とらドラ!は、同名ライトノベルを原作とするアニメ作品で、私が最も影響を受けたアニメの一つです。
内容としては、家族や恋愛など、それぞれのコンプレックスを抱えながら学生生活を送る高校生たちの物語ですが、登場人物の心理描写が繊細で、奥が深い作品としていまだに根強い人気があります。
基本的にはラブコメ作品なので、主人公たちの恋愛がテーマです。ここで私が大事だと思うのが、彼らの物語において、誰かを好きになったりする感情は「ゼロorヒャクで決められるものではない」という点です。
なお本記事では物語のネタバレも含みますので、予めご了承ください。
主人公、高須竜児は結局誰が好きなの?
主人公の高校二年生男子、高須竜児は、コワモテの容姿とは裏腹に根が真面目で優しく、シャイな性格の持ち主です。憧れの女子、櫛枝実乃梨にずっと思いを寄せるも、会話もろくにできず長い時間を過ごすことになります。
ひょんなことから、隣のアパートに住む逢坂大河の片思いの恋を知ることになり、お互いの片思いの相手がそれぞれの友人であることから、それぞれの恋が実るよう協力していくというストーリーが展開されます。
物語終盤まで、竜児は櫛枝実乃梨のことを想いつつも、次第に自分をかけがえのない存在と認める大河の気持ちも知り、心境は揺れうごいていました。
最終的に竜児は大河を選ぶのですが、では櫛枝実乃梨に寄せていた想いは偽物だったのでしょうか?途中までは実乃梨の方も竜児を意識しだして、お互いイイ感じになりそうだったのですが・・・ここが、物語をみていてモヤモヤするポイントの一つではないかと思います。
結局、竜児は実乃梨は本気で好きじゃなかったのでしょうか?なぜ、あとで知り合った大河を「嫁にこい!」とまで想うようになったのでしょうか?
恋心のカタチ
「高須竜児の、櫛枝実乃梨への想いは、確かにあった。それは嘘ではなかった。」
「それでも、側に居たいと思ったのは、最終的には大河だった。」
物語のラスト、主人公の竜児の心境はおそらくこうでは、と個人的には思います。
竜児の心はブレているのでしょうか?
いやそもそも、人間誰しも、「ずっと同じ人が好きであり続ける」ということの方が珍しいのではないでしょうか。
仮に「運命の相手」というのが存在して、出会った瞬間フィーリングぴったり、紆余曲折あっても最終的には二人は結ばれる・・・なんていうのは、美しいのかもしれません。でも、私たちは様々な人間関係を経て大人になっていくと、「人の心は変わっていくもの」だということを暗に理解していくと思います。時間と共に、世の中は変わり、他人も変わり、そして自分も変わっていく。それはとても自然無ことであり、人それぞれ「その時点その時点」で、恋愛という感情も姿を変えていくものだと思います。
恋愛に限らず、私たちの心は常に変化し、「好き・嫌い」「嬉しい・悲しい」「安心・不安」など、0か100か、またはその中間の59とか72とか、そんな数字では表せないものになっています。
これは、相手を理解する必要がある時、私たちは常に気にしておくべきことではないでしょうか。「好きなのか嫌いなのかハッキリしろ」「嬉しいの?嬉しくないの?」そんなことを聞くのは、聞く側として判断しやすいからであって、聞かれた側は場当たり的なことを答えても、それが本当の答えにはならないでしょう。同じように、自分の気持ちも「ゼロ・ヒャク」で決まるものではない、と思っていた方がイイと思います。「自分はこれが好きだ、嫌いだ」という気持ちに正直になるのは大切ですが、そのグラデーション構造を理解しておかないと、「自分はこれが好きだから、こうする」という判断の根拠が、実はあやふやだった・・・となることもあると思います。
まとめ
とらドラ!は、魅力的なキャラクターと丁寧な心理描写で物語へと引き込まれ、怒涛の展開で最後まで飽きることがない、とても完成された全25話のアニメ作品と言えます。
そこで描かれる登場人物たちの心理は、単純に「好き」「嫌い」だけで割り切れるものではなく、自分の心情やコンプレックス、友達の間柄など、様々な要素が絡み合い、グラデーションのように移り変わっていきます。
既に視聴された方も、これから改めてみる方も、そんな登場人物たちの「心境の変化」を、一つ一つのセリフや挙動から読み取っていくと、より深く作品を味わえるのではないでしょうか!
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