「やり過ぎ」は人生の時間を奪っていく

ノウハウ

過ぎたるは猶及ばざるが如し

「何事も程よくバランスよくやることが大切だ」

これは、言われてみれば多くの人が納得できる言葉だと思います。

一方で、

「何事も全力で取り組んで完璧を目指すべきだ」

この真反対のような主張も正しそうですよね?

結論から言うと、「何事も全力で取り組む」と、人生の時間がいくらあっても足りません。体力と時間が無限にある前提なら、この主張も説得力があります。しかし私たち人間が生きられる時間は限られており、その時間を休まずずっと動き続けることはできません。

その限られた時間と体力を使って、最大限自分の人生を有意義にしたり、他の人のためになるようなことをするならば、その目的に合わせた時間と体力の配分が必要です。

何事も、ゴールを見定め、目標に向かって取り組む。

当たり前のことですが、これを見失うと、「やり過ぎ」の状態を招き、人生の時間を無駄にしてしまいます。

「満点主義(?)」の弊害

そもそも、私たちの多くがこの「頑張って満点を目指そう!」と言う考えを正しいと認識しているのは何故でしょうか?

それは、幼少からの教育の家庭で、「満点こそ至上」と言う価値観の中で育ってきたからではないでしょうか。

テストの点数で、100点満点をとることは素晴らしいように思えます。

一方で、「そのテストは実力に対してレベルが低すぎる」とも解釈できます。

極端な話、小学生の足し算引き算の10問テストがあって100点をとっても、大抵の大人はそんなに嬉しくないですよね(ほぼ当たり前ですよね)?

実際、高校や大学などの入試は、「合格」と言う目的を達するためなら、「合格点」を取りにいくことが正解です。合格点が70点だとして、10の努力をして95点をとるのと、7の努力で75点をとるのでは、明らかに後者の方が効率よく時間を使えています(でも往々にして、10の努力をしてなるべく100点取ろうと頑張ってしまいがちです)

完璧は考え方次第

そもそも完璧を目指すとはどう言うことでしょうか。

何を持って完璧とするかは、突き詰めれば人によって解釈が違ってきます。

テストで100点を取ったとしても、細かく言えば、記述式問題の文章の書き方とか、いくらでもこだわることができます。

ファッションモデルさんや、ボディビルダーさんは完璧な体を目指します、、、が、何を持って完璧な体と言えるのでしょう?それこそ人の体なんて千差万別です。体脂率何%が完璧とかって、そこに絶対的な尺度はなく、多くの人が賛同している基準があったとしても、やはり人の解釈次第です。

職人は完璧を目指すべき?

一方で、「完璧な仕事をする」職人と言うのは評価されることがあります。

マイケルジャクソン、チャップリンなんかは完璧主義者として有名だったそうです。マイケルは納得いくまで何度もステージのリハーサルを重ねる。チャップリンは納得のいくテイクが撮れるまで撮影が全然終わらない。

こうした偉大な表現者が、素晴らしい作品を残したことに異論はありません。その姿勢は職人として素晴らしいし、尊敬できます。

人に求められる一つの技を生業とするならば、完璧主義でその仕事を全うすることは理にかなっていると思います。ですが、それはバランスを大きく損ねる行動も伴い、他に大きな犠牲を伴うことも覚悟する必要があるでしょう。そしてやはり、「完璧」とは結局のところ個人の主観でしかないため、追求すれば際限のないものでもあります。下手をすれば、「決して自ら納得のできない」ものを作り続ける宿命を背負うのかもしれません。

まとめ

何事も完璧を目指すのは素晴らしいことですが、現実として私たちは、時間と体力が限られています。

そして、普段の生活や人生の目標をしっかりと見据えるならば、「全て完璧を目指す」が合理的でないと理解できます。

一部の職人などは完璧を目指します。私も音楽家の端くれとして、自分の演奏や作品は、その限られた時間の中で最大限の「完璧」を目指します。ただしそれはバランスを欠くことに繋がる恐れがあり、「永遠に達成できないもの」を求めてしまうことにもなりかねません。(それでも作り続けたいから、専門家なんだとも思います)

周囲の意見、同調圧力に惑わされず、自分の目的やゴールを見据えて、バランスの良い日々を過ごすことを心がけてみてはいかがでしょうか!

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