僕が反抗したら、先生は拗ねた

エッセイ

それは15年くらい前、僕が高校生だった頃

英語の授業で、僕は先生に反抗した。

自分が違うと思ったことには、決して首を縦に振らない性格だった。

『空気を読む』という言葉が嫌いだった。

そこには過剰な自信もあったが、自分に嘘をつきたくない、というのが一番の理由だった。

学業を疎かにしているわけではない。

むしろ、勉強は真面目にやっていた。

でも、その時の先生に反抗した。

進級とともに、英語の先生が変わった

高1から高2へ進級した。

それまで教わったことのない新しい先生が、自分のクラスの英語を受け持った。

1年間教わった以前の英語の先生が、ちょっと不器用でぶっきらぼうだけど、熱意を持ってしっかり教えてくれていたので、好きだった。

新しい先生の評判も知らない。ちょっと残念な気持ちもありつつ、こればっかりは自分で決められないと割り切り、授業を受けた。

進め方が気に食わなかったから、反抗した

新しい先生の授業の進め方が、自分は気に入らなかった。

教科書の内容に沿ったプリントが毎回用意されていた。

そこは、ところどころ文章の穴埋めがあり、それを考えながら進めていくというものだ。

今思えば、先生からすれば、うまく仕組みを作って、ラクに授業を進められる形式だったのだろう。

答えは決まっており、それにたどり着くように生徒を一人ずつ指しながら、その答えを言わせていく。

当時、僕はそこまで考えていなかったけど、その無機質な進め方、淡々とした授業、教えることへの熱意の低さに、嫌悪感を持った。

新しい学年が始まり、ひと月ほど経った頃。

僕はその授業で指されて、プリントの枠の答えを言うよう先生から指示された。

「答えたくありません」

と言った。

その時の僕は、先生の授業を無視し、教室に居ながら一人で英語の教科書の学習を進めていた。

先生は、驚き、そして拗ねた

まさか生徒にそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。

驚いたような表情で、その先生は一瞬怒気を滲ませ、

「ちょっとあとで職員室で話を聞かせてもらう」

ということになり、その後授業はまた滞りなく流れた。

教室はヘンな空気になっていたかもしれない。

でも当時の僕は、そんなことはどうでもよかった。

職員室で、先生と二人で話した。

進め方が気に入らないという話も、私にしっかりとした根拠があるわけではなく、先生の姿勢が気にくわないという極めて個人的なものだったから、今思えばとても失礼なことをしたと思う。

それは、反省しているし、謝罪をしたい。

ただ、先生は先生で、そんな私の気持ちには寄り添ってくれなかった。

渋々、わかったようなわからなかったような、曖昧な決着で、その場は終わった。

その後も淡々と授業が続くようになった。

その後時折、先生は自虐交じりに

「私の授業はあまり意味ないらしいですからね・・・」

なんて言い出す時もあった。

私は、先生に対して失礼なことをしたという気持ちが残った。

それでも自分の思ったこと、納得いかないことにはきちんと向き合ったということに、後悔はなかった。

ただ先生も、そこで拗ねるのはおかしいと思った。

何十人もいる学校で、万人が満足するような授業をするなど、現実的ではない。

でもその中で、生徒に向き合い、しっかりと教えてくれるような先生もいれば、

私が反抗したような、自分が作ったシステムで淡々と授業を進め、反抗されたら拗ねるような先生もいる。

私はその先生の授業が二年生で終わりになるまで、和解したりすることはなかった。

english-paper

17歳の自分が納得できなかったもの

それは、英語の先生の授業の進め方ではなかったのかもしれない。

何かを教えるという立場の人が、学ぼうとする意思のある人の気持ちに応えてくれないこと、だったのかもしれない。

学びは面白いこと。

人というのは学びたい欲求を持っている。

だから、誰かかから何かを学び、誰かに何かを教えるという人の営みは、これからも途切れることはないだろう。

このブログも、私の今まで得た中で、選りすぐりの有益な知識を、多くの人に知ってもらいたいと思って書いている。

そこには、教える側、伝える側としての矜持がある。

私も日々色々学んでいる。

そして、知りたい、学びたいと思っている多くの人の気持ちに応えられるような情報発信をすることにこそ、意義があると感じている。

いつもこのブログを読んでいただき、ありがとうございます。

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