個人の買い物は将来「エンタメ」と「労働」の二種類に分かれる

cashless 生活

「楽しい買い物」と「必要な買い物」

私たちは普段、モノやサービスに対価を支払って買い物をします。

国内で支払う対価は基本的に日本円ですが、徐々にトークン型も広まりつつあり、経済圏の考え方がもっと流動的になっていくでしょう(楽天ポイントとか仮想通貨とか)。

そして今やリアルなお店に行かなくても、ネットの宇宙には無限とも思える商品が広がっています。予算さえあれば、想像しうる限りのものは手に入りそうです。

でもそれだけ自由になると、ある弊害も生まれます。。。。

買い物は、果たして「楽しいだけ」のものでしょうか?

「必要な買い物」は労働

「選ぶのがめんどい・・・」

最近多くの人が、買い物の時、内心これを思っているのではないでしょうか。

毎日の朝昼晩の食事、コンビニやスーパーで何を買おうか。飲食店はどこに行こうか。この冬着る服は何を買おうか。ケータイはどこの会社のどのプランを選べばいいのか。家電は?家具は?

・・・こう考えると、現代の私たちは無限にも思える選択肢を与えられて、生活がだいぶ自由になった反面、選ぶという煩わしさにも直面しています。

社会経済の発展の歴史は、その根元となってきたのが「快」を生み出すことと、「不快」を避けることのどちらかです。

「買い物」が「煩わしい」もので、「不快」な部類に入ると、それを避けるような行動が起こります。そうして、「オススメ商品まとめ」なんかのカテゴリーが人気になります。今やブログ、YouTubeを見ればそんなコンテンツに溢れています。

ちなみに、音楽関連の買い物については、私も記事にまとめています。(これは私にとっては、労働ではなくエンタメです♪)

「楽しい買い物」はエンタメ

日本が高度成長していた時代、多くの人にとって買い物はエンタメだったことでしょう。お給料はたくさん入り、デパートに行けば暮らしを充実させる魅力的な商品が並び、我先にとそれをゲットして人並みの生活を送りたい、と願っていたようです。

アラサーの私は、バブル崩壊後の低成長の2000年代にティーンネージャーでした。そしてリーマンショック、東日本大震災などの大きな出来事を経験し、スマホに象徴されるITが爆発的に普及した2010年代に20代を過ごしました。(そして、30代はポストコロナから始まろうとしています)

言いたいことは、私たちと、それよりあとの世代では、買い物に対する価値観がこれまでと大きく変わっている、ということです。経済活動のボリュームゾーンがシフトしていきます。自分の好きなものを選ぶ買い物は、それ自体がエンタメであり「快」です。一方、自分としてはどうでもいいけど買わなきゃ行けないもの、これを選ぶ買い物は労働であり「不快」です。

例えば私は、普段着にはあまり頓着がないので、服の買い物はちょっと億劫です。ある程度流行から外れていなくて、機能的で、自分の体型にあった上下、靴、下着、カバン、これらを予算の中から選ぶのは、「労働」と言っていい。誰かがこれをやってくれるなら、その時間で私は他の好きなことをするでしょう。

一方、ギターの機材選び、DTMのソフト選び、パソコンの機種やパーツ選びなんかは大好きなので、自分のだろうが人のだろうが、率先してやりたいと思います。これは、私にとっては「エンタメ」です。好きなカテゴリーなので知識と経験も豊富なので、任せてもらって大丈夫だと思っています。それを信用してくれる人がいるなら、「じゃぁわーさー、俺にあうやつ適当に選んで買っといて!」「OKまかせろ!ルンルン♪」っていうやりとりが成立します。

まとめ

世の中が大きく変わる中で、買い物に対するスタンスも変わってきます。

買わなきゃいけないけど、選ぶのがめんどくさい買い物は「労働」となり、選ぶのが楽しい買い物は「エンタメ」となります。どの買い物がどっちになるかは、その人それぞれです。

みんなが好きなことだけやってたら、世の中がうまく回る。そんなパラダイスみたいな(?)社会が、近い将来やってくるのかもしれません。

【本日のオススメ本】

評価経済社会・電子版プラス

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