学校の勉強をする理由
小学生に「なぜ勉強しなければいけないの?」って聞かれたら、なんて答えるでしょうか?
その答えには、それぞれの大人の価値観がにじみ出てくると思います。
大人になれば、多かれ少なかれ、教育を受けてきたことの恩恵を感じることができるでしょう。しかしそれの解釈は人によって異なるし、学校の勉強というものについての捉え方も様々な意見があると思います。
今回は、学校の勉強の象徴でもある「テストの点数」についてのお話です。
先生が褒めるべきは『伸び』
学校の成績は、上限が決まっているテストで、より満点に近ければ近いほどいいことになっています。なので、勉強を頑張って、学力を伸ばして、よりよい点数をとることが学校での勉強の基本的なスタンスです。
ただしこれは、生徒の学力と試験の内容のレベルの相対的な関係が、その結果に占める要因としてはかなり大きくなります。試験の問題を難しくすれば平均点は下がるし、簡単な問題にすれば平均点は上がり、満点もポコポコと出てくるでしょう。
ここで、「点数だけ」に評価をフォーカスしてしまうとおかしなことになります。学校での勉強は、試験の点数という結果を出すことが目的ではないからです。知らないことを学ぶこと、そして学ぶ過程で人間として成長することが最も重要なことです。テストの点数がいい生徒を褒め、点数の悪い生徒を叱るのは本質からズレていることがわかります。
世の中で起こることの結果は自分の力だけで決まらない
実際の社会では、テストで満点に近づけるということの意味がそれほどないのはご存知の通りです。学校の選抜試験や、資格試験などをクリアするという目的では使えますが、そんな手法は、自分が携わる事業の売上を伸ばしたり、家族や友人との関係性をうまくすることなどには全く役に立ちません。ですが人生において最も重要なのはそこです。全ては自分と、周りの世の中の動きによって結果が生じます。それを解決してよりよい答えを自分で生み出す力が大切で、テストで満点をとることを目的に取り組むことには意味がなく、またそれを褒めることも教育としての意義は低いと言えます。
まとめ
「手段の目的化」というのは、私達がよく陥りがちな思考の罠です。
学校の勉強にはテストがあり、満点に近ければ近いほどいい、というのは事実としてあります。
ですが、それはあくまで手段であって、それを目的としてしまうと、教育で大事なことを見失ってしまいます。
大人であっても今一度、自分が取り組んでいることのそもそもの目的を考え、その手段が正しいアプローチなのかどうかは考えてみる必要があります。
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すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ (光文社新書)
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